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早く出発をしたくてしょうがない、頼むから早く乗ってくれないか、そんな焦りの気持ちが現れている様な敵意を持った金属音が耳をつんざく。駆け込む乗客に押し流されてぎゅうぎゅう詰めの車内に雪崩れ込んだ。予想していたよりも車内の乗客は私に優しく、賞賛の声を贈ってくれている。おめでとう、ありがとう、おめでとう、ありがとう。もう沢山だ。頼むからゆっくり座らせて貰えないだろうか?ぼそりと呟くと、目の前に座っていた老人が席を立ち、満面の笑みで私に席を譲るポーズを見せた。何故隣の若者はそれを黙って見ているんだ。譲るならお前が譲れよ。さあ、さあ早く。ほら、お前が譲らないから何時まで経っても発車のベルが鳴り止まないじゃないか。さあ、早く譲れよ、譲ってくれよ。

_____けたたましく鳴り響く目覚ましが、一気に現実に引き戻す。席を譲らない若者の代わりに目に着いたのはソファーの上の脱ぎっ放しになったままのコートだった。

ああ、そうか昨日酔い潰れたんだ。酔い潰れたなりの夢か。ああ気持ち悪い夢だこと。
パジャマにも着替えないでそのままの姿でベッドに突っ伏していたらしい。珍しく記憶が無い。ああ、案の定今年も最悪なクリスマスだった。なんて私らしいんだろうか。
それにしたって記憶が全く無いなんて、らしくない。初めて入ったバーで気分転換をしようと思い至った所までは覚えてはいるが、何時ぐらいに家に着いたのか、どうやって帰ってきたのか誰かに訪ね歩きたいぐらいだ。帰巣本能と言っていいのか分からないが、記憶が無いのに恐ろしいものだ。
などと記憶の棚卸しをしている余裕は無いのだった。酔い潰れて休むなんてそれこそみっともないではないか。 ”現実の電車はもう少し空いていると、二日酔いの身体にはありがたいのに” 得体の知れない夢を冗談に切り替えながら家を飛び出した。

始業開始の五分前に職場に着くことができ、なんとか無遅刻の記録を守る事は出来たと胸を撫で下ろす。バックヤードに駆け込むと、キョウコが昨日と同じ私服から制服に着替えている姿が目に飛び込んだ。

「おっはよ、アサミ。昨日来れば良かったのに。本当勿体無い勿体無い」
慌てて整えて来たのか知らないが、勿体無いのは崩れたあんたのメイクの方だよ。

「目のクマ、隠せてないよ」

珍しく嫌味に近い言葉を吐き出して見たが、キョウコの興味は私の言葉ではなく、自分の顔に向けられたらしく、慌ててコンパクトで目元をチェックする。

「冗談言わないでよ。ちゃんと早起きしてメイクだけは整えたんだから。珍しいね、そんな意地悪言うの」

改めてキョウコの顔を覗くと、ばっちりメイクアップされていた。さっきは崩れて酷い事になっていた筈なのに……。まだ昨日のアルコールが抜けていないのだろうか。

「早く行こ。またチーフにどやされるよ」

売り場に立ち、いつもの香りに包まれていると徐々に目が覚めた気分になって来た。
目が冴えるのはフレグランスのせいだけでは無い。毎月、決まってやって来るこの日だけは背筋がいつもより伸びる日なんだ。

”藤森タエ” この店舗で私が勤務するようになってから、必ず毎月一回は顔を出してくれるお得意様。上品な言葉使いと、身につけている装飾品からは私とは住む世界が違う住人だと感じさせる。自分の孫と同じぐらい歳が離れているであろう私にも、慎重に言葉を選びながら、とても温かいコミュニケーションを取ってくれる特別なお客様だ。
初めて売り場に立った日の最後に担当した方で、彼女が来てくれなかったらきっと私はもうこの職場に居なかっただろう。

「アサミさん、こんにちは。今日もあなたに逢いたくて来ちゃったわ」
この挨拶はもう五年目になる。この挨拶を聴きたくてなんとか辞めずに済んでいるのかも知れない。

「タエさん、こんにちは。今日はいつもより早いんですね」
「あなたに逢いたくて走ってきたの。だってそうでしょ?楽しい事には素直にならないと勿体無いわ」
このやり取りは四年目になる。彼女の心が開いたのはこの職場での最初クリスマス。お孫さんのプレゼントに何か欲しい、と相談され二人で真剣に話し合った日だ。私が進めた商品をプレゼントに選んでくれ、その事がきっかけで、お孫さんとの会話が増えてきたと、とても喜んでくれた。
「貴女は私と孫に取って素敵なサンタさんね。ありがとう。これからもよろしくね」
それからタエさんと私は友人にも似た関係になった。

同僚や上司はタエさんの事をあまり良く思っていない。タエさんは誰に対しても丁寧に話しかけてくれる。欠点はその話が長い事だ。最低でも二時間は付きっ切りになってしまう。
その間、売り場からは人員が一人欠けてしまうので、他のお客様の対応が出来なくなってしまう。
同僚の負担が増えてしまうのは申し訳ないが、私に取っては心地よい大切な時間なのだ。
この時間が今後も続くなら、いつまでだって私はここに居られる。このまま続いてくれれば……。

続く

 

 

 

 

【ライター紹介】

藤井 硫 (男性)

東京都在住

短編小説とイラストを描いています。
頭の中の妄想を、ほいっと見せる事が出来たらどんなに楽だろう。
イラストとか小説とか見るのに時間掛かるじゃん、だからこれ見てみなよ、な?面白いでしょ?
が出来たらどんなに手っ取り早いだろうか。

でもそれが出来てしまったら創作家いらなくなってしまうよね。
じゃあダメだわ。はい、他の案考えよう。
っていう人間です。

めさき出版SNSにて活動中

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