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夜の色合いがクリスマスを連想させる程に輝いており、行き交う人達も、いつもより笑顔な人が多い気がする。きっとこの人達に取っては、クリスマスというだけで幸せになれる、何かしらの要素が私より多いのだろう。
家族や恋人にプレゼントをしたり、豪華な食事の時間を大切な人と過ごすのだ。ああ、なんて甘ったるい行為なんだろうか。ありったけの蜂蜜と練乳、砂糖をグツグツと煮込んで冷やして、琥珀色になった固まりを口の中に放り込まれた様な気分になる。
この時期は何処に行っても、この甘い行為を強要してくるのだ。去年は自宅に引き籠ってやり過ごそうとしたのだけれど、余計虚しさに襲われてしまった。なんて残酷なイベントなんだろうか。

今年はいつもと変わらない自分で過ごせば、もう少し強くなれるだろうか、そう思って出掛けたものの、立ち寄ったバーで二杯程ジントニックを飲んでから、少し気持ちが冷めてしまった。そもそも私は強くなる必要があるのだろうか。
自立できない女性が異性に支えてもらいたくなるのは理解できる。弱いままの自分を異性が受け入れてくれれば、弱いままで良いからだ。その異性が見つからなければ、一人で生きていくために強くならなければならないだろう。少なくても私の周りの同性はそのどちらかに当てはまっている。
過程が違うだけで、結果としては幸せになりたいのだ。 そういった人間は情報として幸せの定義が決まっているのではなく、経験として幸せとは何かを刻み込まれている気がする。
そのどちらにも属さない私は、幸せとは何かを良く知らない。故に強くなる必要が有るのか良く分からなくなってしまった。

幼少期に事故で両親を亡くした私は親戚中をたらい回しにされ、最終的に養護施設へ入所した。そこには私の様な孤児だけではなく、心身障害児や親から虐待を受けた子達がいた。
「環境が変われば明るくなるでしょ。あなたの為なのよ」
叔母の最後の言葉には何の優しさも感じなかった。

施設では擬似的な家庭環境を整えており、より家庭に近い状態で過ごし、家庭の温かさを感じ取れる様に配慮されているのだが、誰かと空間を共有するなど、私に取っては苦痛以外の何物でもなかった。
専門学校を卒業するまで、私は誰とも打ち解けられなかった。正確には打ち解けようとしなかっただけだが。幸せと言う形を受け取った事も無いし、与える事も知ろうともしなかった。言ってみれば私はただのジャンク品だ。
男漁りにハマったのも、別に愛情が欲しいといったセンチメンタルなものじゃなく、自慰と同じ様なものだ。
こうしてバーカウンターで、黙って飲んでいれば下世話でお手軽なオモチャが向こうから勝手に寄って来てくれる。昼間の私とは全く違う我儘さで、丁寧に都合の良い女を演じてあげれば、お互いに手軽な快楽に溺れる事ができる。なんて気楽な自由なんだろう。それが自由であるのであれば、だが。

「ごめんマスター。今日は帰るね」
お酒を飲む時に考え込むのは、作ってくれた人に失礼だという私の美学がある。この場に違和感無く存在するという事が重要で、遊ぶ為に必要な最低限の礼儀だ。
外に出ると、終電間際の忙しなさを感じた。考え込んですっかりカウンターに根を張っていたらしい。
なるべくイルミネーションに染められていない夜道を探すが、何処にいっても赤や緑に輝くライトに包まれている。寂しいという感情すら否定されている様な気になってくる。終電まで五分もない。もう、今日は帰るのをやめようか。半ばヤケクソ気味に歩いていると今まで見たことの無いネオンサインが目に入った。

”バー•エヴェレット”

今思えばこの店との出会いこそが、奇跡だったのだ。

続く

 

 

 

 

【ライター紹介】

藤井 硫 (男性)

東京都在住

短編小説とイラストを描いています。
頭の中の妄想を、ほいっと見せる事が出来たらどんなに楽だろう。
イラストとか小説とか見るのに時間掛かるじゃん、だからこれ見てみなよ、な?面白いでしょ?
が出来たらどんなに手っ取り早いだろうか。

でもそれが出来てしまったら創作家いらなくなってしまうよね。
じゃあダメだわ。はい、他の案考えよう。
っていう人間です。

めさき出版SNSにて活動中

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