電話

9

__________もう少し冷静になるべきだったんだろうか。いや、今更悔いる事でもない。私の中では今起きている出来事ははっきりしているんだ。
今から二時間前の事だ。それは唐突に閃いた。

「そんなに楽しかったのなら、もう一度探しに行きましょうよ」

唐突な提言に戸惑ったのか始めは意外にも断られた。今更探す場所もないだろうとも言われたが、多分その声色はそう思っていなかったと思う。
「本当に隈なく探したって、言い切れます? 私はまだ探す価値があると思っています。……あなたよりも記憶は曖昧だし。でも、私の手元に残っているこのコースターが示しているんです。確かに有ったって。一人でダメなら二人なら何か思い出すかも知れないでしょ」
電話の彼は私の強引さに押された様な口ぶりで了承したが、実のところ満更でも無かったのかも知れない。

池袋東口の中州にある喫煙所が待ち合わせ場所になった。職場ではタバコの話すらしないが、専門学校の頃からマルボロのメンソールライトを吸い続けている。父が自室に篭って研究に明け暮れて居る時に吸っていた香りを知っていたから、この銘柄にしたんだ。他の銘柄もいくつか試してみたけれど、どれも味がシックリ来なかった。まあ、味なんて良くは分かっていなかったが。
「君がなるべく吸い過ぎない様に早めに行くよ」
まるで遅れて行く事が前提の様な口ぶりだったのが少し癪に触ったので、電話を切った後、少しゆっくり支度をしてやろうかと考えたが、結局彼より早めに着いてしまった。

誰かと待ち合わせをするなんて何年振りだろうか。わざわざ思い出す様な楽しい事でもないのだが。
叔母に引き取られた日、叔母が住む駅で二時間待ちぼうけを食わされた。かじかむ手を擦り合わせながら、改札前に佇んでいると中年の男性に話しかけられた。
「ガキのクセにこんなところで商売なんかするなよ。邪魔なんだ」
意味が解らずに狼狽えていると、駅前の交番から助け舟がやってきた。中年はそそくさと居なくなったが、警察官の不審者を見る様な目は、そのまま私に向けられた。
家出と勘違いされたらしく、交番で事情を聞かれたが、私にとっては寒い所で待たずに済んだのでありがたかった。
事情を汲み取った警察から叔母に電話が行き、十分程経つと険しさと落胆の色が混同した様な表情の叔母が迎えに来た。
その時は気づかなかったが、私が待った二時間は叔母の無言の抵抗だったのだ。

__________六本目の煙草に火を付けた頃、手が冷たくなってきて嫌な事を思い出してしまった。所在無くといった態度で携帯を取り出すと、ここに来てから三十分も経過していた事に気づく。
辺りに居た人達は一〜二本吸って何処かに行ってしまうか、誰かが迎えに来てこの場を立ち去り、私の様に長居をする物はいない。携帯も鳴る素振りを見せないので、彼が来ていない事は明白だ。
私から電話を掛けてみようか、そう思った時に見覚えのある番号から着信があった。
やっと来たか。安堵の溜息を吐きながら電話に出ると、 向こうも同じ様な溜息を吐いた。
「電話に出れるのなら無事という事か。何かあったのかと思って心配をしたよ」
一体何を厚かましい事を言っているんだ。遅れるにしても違った言い訳があるだろうに。
「今はどの辺りにいるんだい?そろそろ煙草も吸い飽きて来てね」
……着いている?何処に?
「池袋東口駅前の、中州にある喫煙所だよね?この辺りには他に目立った喫煙所は無い筈だが……。とにかくそっちに行くよ。君はどこに居るんだい?」
「多分……同じ喫煙所に居ます。三十分前から」

その時の沈黙はきっと同じ思考だったかも知れない。そうとしか考えられないからだ。
「……今バスのクラクションが君の電話からも聴こえたよ。思っているよりも近い所に居るのは良く分かる。この喫煙所もそこまで広くはないし、なにより僕が見る限りでは近くに煙草を吸っている女性はいない」
私の電話にもきっと同じクラクションが聴こえていた。確信を吟味する様に、少しだけほくそ笑んだ。
私がチープな嘘を付いたせいで、彼はこの事実に気が付くのに、ほんの少しだけ時間が掛かったが、同じ様に確信したに違いない。
「少しだけ確かめよう。まだ君がどこか離れた場所から見ている可能性もある。そうだな……そこの電器屋に行かないか?信号が変わったら、そのまま正面口から入るんだ。僕もそこに行く」
奇妙な優越感を味わいながら店内に入ると、二階の家電コーナーの奥にある延長ケーブルの売り場に行くように指示された。
「奥の棚にケーブルが陳列されている。今、僕はその前に立っている。待ち合わせ場所には相応しくない場所だが、ここならすれ違う事もない。君が近くにいるなら僕の姿が見えるだろう?」
陳列されている場所に立つ。目の前には小さい物からどんな家庭で使うのか分からない様な差込口が多いタップまで、様々な延長ケーブルなどが並んでいる。
「……まだ僕の姿が見えない?本当にここに来ているんだよね?」
彼の声のトーンが、訝しげな、と言うよりかはこの理解し難い状況を楽しんでいる様な、あどけなさを伝えてくる。
「もう一度だけ確かめさしてくれないか。……君も僕も知り得ない情報がある場所で、かつ目立つ場所がいい。そうだ、ドライヤー売り場を探してくれ」
地下一階の理美容コーナーに着くまで、二人とも無言だった。何かを噛み締めていたのか、戸惑いなのかは解らないが、とにかく理解していたんだと思う。
「僕は今、女性向けのドライヤーとか美容家電が並んでいる所に来た。なんだったら商品名だって値段だって読み上げられる。君は男性向けのコーナーで何か適当に商品を見つけてくれないか。商品を見つけたらお互いに読み上げるんだ。その後で場所を入れ替わろう。その時、ちゃんとどの場所にその商品があるかも教えてくれ」
比較的安価な、聞いたこともないようなメーカーのドライヤーを手に取り型番を読み上げる。有名なメーカー品よりかは、彼が納得し易いかと思ったからだ。
それぞれ型番と値段、陳列場所を読み上げて確認し合うと、ようやく確信したのか困惑しているのか、電話口から彼の声が聴こえなくなった。

「まだ、確かめた方がいい?……お父さん」

続く

次回更新 1月9日

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