電話

 

6

予期せぬ出来事とは決して良い事ばかりではない。どちらかと言うと悪い事の方が多いと思う。私は六歳で予期せぬ事故に巻き込まれて両親を亡くした。まるで死神の鎌が私の胸をかすめた様に、心に深い傷を残し、些細な事にも怯える様になった。
叔母や親戚から受けた冷たい仕打ちも、養護施設に預けられた事も、施設で感じた言い知れぬ違和感や孤独だって、私に取っては全て予期せぬ出来事だ。
根源にある両親の事故さえ無ければ、せめて生きてさえいてくれれば、不幸な出来事は全て起きていなかったのだ。避けようがない不幸な予期せぬ出来事に翻弄されて行くうちに、私はあることに気がついた。それらは私が心を開こうとするタイミングで襲ってくるのだ。まるで死神が隠れていた獲物を待ち構えていたかの様に、大きな鎌を振るってやって来る。きっと今迄の出来事は、その死神によるものなんだ。
私は不幸な出来事を起こす死神に見つからない様に、少しずつ心を隠す様になった。叔母からも施設の皆からも、専門学校や今いる職場の同僚にだって。心を隠して見つからない様にすれば、きっと不幸な出来事に遭わずに済む。それで良いのだと思ってきた。
ただ、時折自分では無い何かに成りたくなる衝動には逆らえず、夜な夜な盛り場に出歩く様になり、心のバランスを保つ方法を、私なりの自慰を覚えて行った。それでベストだと思っていた。これからもずっと上手くやれるのだと。
しかし、あの日エヴェレットで記憶を無くした事が、忘れかけていた不安を思い出させた。
今迄記憶を無くすまで酔い潰れた事は無い。顔も名前も知らない相手と電話で話すなんて事も無かった。これはこれから起きる不幸な出来事の予兆なのか。携帯を持ったまま、私は何も言葉を発せずにいた。

「否定はしない、って事は間違いないのか……。こんな事もあるんだな……。いや、名前だけじゃ偶然という事もある」
含みのある物言いが余計に不安を煽って来る。
「何が言いたいんですか?何故私の名前を知っているんですか?」
「﨔田(くにきだ)幸恵、享年二十四歳。家族で行った旅行先で事故に遭い、搬送先の病院で息を引き取る。夫の正道(まさみち)とは大学で知り合い、出会って半年で結婚を決めた。結婚を決めた最大の理由は、二人の間に子供が出来たから。二人はその子供に朝美と名付け、事故に遭う迄は幸せに暮らしていた」

事故は地方紙にも載ったから、第三者が知っていてもおかしくはない。でも、なんで今更……。
脳裏に浮かんだのは脅迫、恐喝といったマイナスなキーワードばかりで、まともな思考を保つのが難しくなってきた。何故電話の向こうの相手は、ここまで私の過去を知っているんだ。胸が、肺が自分の思い通りに動いてくれず、窒息してしまいそうになる。
「朝美と名付けた由来は、出産予定日を大幅に過ぎ、八時間半の難産のすえ、明け方の五時頃ようやく産声を上げた。付き添っていた正道が一息付いて外に出ると、名画すら霞んでしまいそうな朝焼けが目に飛び込んで来たんだ。まるで地球が祝福してくれているようだった。付き添いの疲れなんて一瞬で吹き飛んでしまった。その時、僕は決めたんだ。この子に朝美と名付けようと」

この話は何なんだ。思考が何処に行ってしまったのか分からなくなる。何故?どうして?感情が交差し続けて、複雑な網目に変わり、脳内に纏わり付いて平衡感覚を奪って行く。ダメだ。もう耐えられない。身体と心の制御に限界が来た時、我慢して耳にあてていた携帯を力いっぱい握りしめ、画面越しに正体の分からない相手に向かって今迄出した事も無い大声で抵抗を示した。
「ふざけないで!」

__________きっと今は汗と涙で化粧が崩れ、見れたもんじゃないだろう。壁に叩きつけられた携帯を見ると電池パックが外れ、液晶にヒビが入っている。如何に冷静さを欠いていたか思い知らされる。センベエはソファの下に潜り込んだまま、出てこようともしない。初めて聞いた私の声に驚いてしまったのだろう。こんな時、テレビドラマだったら寄り添ってくれたり、涙で濡れた頬を舐めてくれるんだろうな。

あの人は一体誰なんだろう。名付け親?そんな訳ない。両親ではない誰かが名前を付けてくれたなんて聞かされていない。
六歳の誕生日記念で行った旅行先、海を見た後に高速道路で事故にあった。母は電話の男が言っていた様に、搬送先の病院で死亡が確認された。私が病室のベッドで目を覚ます頃には、父も息を引き取っていたと聞く。二人の抜け殻になった姿を確かにこの目で見たんだ。
父と母は決して祝福された結婚ではなかったと、酔った親戚から聞かされた事がある。母方の親戚は口を揃えて父を忌み嫌っていた。
在学中に子供を作るなんて平和ボケしている、可愛い娘を取られて悔しい、遊ばれた結果出来たのがお前なんだと厄介者扱いをされた。親戚の中には居場所が無くなった私を引き取る事を嫌がり、お通夜や葬式にすら来なかった者もいたらしい。
私に関心を寄せる親戚など居なかったのに、ましてや産まれた時の事を、まるで自分が見てきた様に話すなんて……。

まさか……お父さん……?

朝迄眠れずにずっと考えていた私は、初めて次の日、仕事を休んだ。

続く
次回更新予定日 12月12日

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