電話

 
13

_____タエさんが持ってきた封筒が私の心を掻き乱したまま、二日が経った。父にはまだ何も話せずにいるし、話さない方が良いかとさえ思っている。
不安定な自分を見せたくない訳ではないが、父に心配を掛けさせたくない気持ちが出て来て戸惑っている。
一人でいる時は、誰かに心配させたくないなんてあまり思わなかった。そもそも心配してくれる人なんていなかったのだし。
「アサミ!この前貰ってたのなんだったの?もしかして温泉旅行のチケットか何か?金券だったりして」
キョウコの心配はなんて軽いんだろうか。重たい悩みの一つや二つ、背負った事ぐらいあるだろうに、どこからこの明るさが来るのか羨ましくなってくる。
「そんなんじゃないよ。……日頃の感謝の手紙かな」
「へぇ。随分とピュアなプレゼントですこと。今時珍しいね」
確かに今時珍しいのかも知れない。私が知らないだけかもしれないが、お見合いなんてこんな風に話が来るものだろうか。
封筒には純朴そうな青年が、誠実そうに写っている写真が一枚と、桜色の便箋が入っていた。
写真の彼はタエさんのお孫さんだそうで、顔から滲み出ている誠実さは、こんな機会がなければ私とすれ違うことすらなさそうな人種だ。
キョウコの言うとおり、タエさんの家族は世間一般的に見れば金持ちと呼ばれる人種に属するだろう。
タエさんの旦那さんは会社経営をいくつかしており、不動産業界でも有名な人物だと聞いた事がある。きっとこのお孫さんはそのいずれかを引継ぐのだろう。
「キョウコ、血統書付の猫とそこら辺にいる黒猫どっちが好き?」
「何よ、急に。そんなの血統書付に決まってるじゃない。憧れちゃうなぁ、ノルウェージャンとかさ。あたし、長毛種のネコ好きなのよね」
「……うん、可愛いよね」
誰だってそうだ。それぞれには相応しい生き場所があるんだ。それに、本当の自分なんて見せたら、きっと相手にされないもの……。
でも、なんて断ればいいんだろうか。タエさんの気持ち、断りづらいな……。

_____「なんか嫌な事でもあったのかい?いつもより声のトーンが少し低い気がするが。それともやっと声変わり?」
父と話せば話す程、幼い頃に戻ったみたいな気がしてくる。あの時の父は、私の機嫌が悪い時や悲しそうな顔をしていると、とても敏感に察知してさり気なく支えてくれようとしていた。ただ、いつも的外れな慰め方をするものだから、私はより一層愚図ってしまい、父をただただ困らせていた。
「そんな風に聴こえる?普段と変わらないよ」
ただ、あの時と違う事と言えばすぐ嘘をつけるようになった事だ。そんな自分が好きになれないのだけれど。
「君の子供の頃は父として未熟だったし、僕も若かったから女の子がどういう時に嘘をつくのか分からなかった。でも君が知っている僕よりも今の僕は経験値が違う。伊達に歳を取ってないさ。……どんな事が君を悩ませているんだい?」
暖かいミルクを入れたマグカップを持つ手が少しだけ震えた。洗い物を手伝っていた時に手が滑ってお皿を割ってしまった時の様な、ばつの悪さだ。
「声に……出てた?……上手く隠してたつもりだったんだけどな」
お皿を割った方がどれだけ気が楽だったろうか。幸せを拒んでいるなんて、言える訳ない。
「う〜ん。少しだけ嘘をついた。君がお母さんの遺伝子をしっかりと受け取っていると信じてかまをかけてみたんだ」
「私が知っているお父さんより、少しだけ意地悪だね。……お母さんの遺伝子ってどういう事?」
「嘘をつく時の癖だよ。でもその答えは後で。どんな悩みだい?」
躊躇いの溜息を聞かれない様に、携帯を顔から離した。目の前にいなくて良かった。きっと今隣にいたら……。

_____「なるほどね。それで君はどう断ったらいいか思案していると……。簡単じゃないか」
「本当に?タエさんががっかりしない様に断れる?」
「会えばいいじゃないか。その手紙には結婚しろとは書いてなかったんだろ?気が合わない。ごめんなさい。それじゃダメなのかい?」
「そんな簡単だったらこんなに悩まないよ。きっと素敵な人なんだろうし。だってタエさんのお孫さんだもの。素敵に決まってる。それなのに私なんて」
「私なんて?」
口が滑った。素直になり過ぎてしまった。
「君は僕と幸恵の子なんだ。きっと素敵な女性に成長しているに決まっている。それとも他に良い男性でもいるのかい?そんな事で悩むなんて幸せ者だな。わかった、その男性が」
「違うってば」
「恥ずかしがらなくてもいいさ。君ぐらいの歳になれば周りの男性がきっと放っておかないだろう。幸恵だって君ぐらいの歳の時にはモテモテだったんだ。だからきっと君は」
「違うって言ってるじゃない!」
駄目だ。結局何も変わってない。私、成長しきれてないや。
「お父さんごめん。今日は切るね」
違うよ、お父さん。私は幸せがどういう物か、知らないんだってば……。
その晩は珍しくセンベエが朝まで布団の中に居た。慣れていた気だるさとは違う、重苦しい朝だったのを覚えている。

職場に着くまでの間、手紙を何度もなぞる様に繰り返し読んだ。柔らかい筆跡が彼女の人柄を思わせる。どんな想いでこの手紙を書いたんだろうか?金持ちの気まぐれ?違う。彼女はきっとそんな人じゃない。私はタエさんの事が好きだ。きっと両親以外に初めてて好きになった人だ。何故?今まで人を好きになれずにいたのに。彼女の人柄?きっとそれも違う。彼女の私を見つめる瞳だ。売り場に来たお客さんの中で、彼女だけが気取らずに私と向き合ってくれた気がする。些細な悩みも、旦那さんの愚痴だってまるで友達の様に話してくれた。それで私はどうしたいんだろう?体良く断ろうなんて、それこそ失礼じゃなかろうか。今度はしっかりと私が彼女の気持ちに向き合わなきゃいけないんじゃないか。
……それに父とだって。

昼休みの時間、タエさんから貰った手紙の一番最後の行をじっと見つめていた。父以外の電話番号にダイヤルするのは久しぶりなので緊張から手が震える。弱々しい自分が出てくるのに少し苛立った。
受話口から聴こえてきたタエさんの声はいつもと変わらず、良き友人の様に私とやり取りをしてくれた。
お見合いの話を受け入れた事を伝えると、さらにその声のトーンが高くなった。罪悪感を覚えないかと言えば嘘になる。でも、だからと言って彼女の希望を全て受け入れるのは好きな人にする態度じゃない。……向き合わなきゃ。

「でも、本当良かったわ。ちょっと急になるけど、明日なんて如何かしら?きっと楽しい一日になるわね」
果たしてそうなるだろうか。私のエゴが誰かを傷つけるかも知れないのに。
携帯を切った後、唐突な目眩に襲われた。目眩、という表現が適切でないぐらいな、違和感だった。まるで、今ここに私が存在していないような、意識と肉体が剥離したような。「……風邪でも引いたのかな」

その時はすぐ違和感が無くなったが、まさかもう一度違う形で、もっと大きな違和感を感じるなんてこの時は想像もしていなかった。

続く

次回 2月6日更新

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