電話

 

 

12

「ちょっと急にどうしたの?タエさんの言っている事が分からないよ」
年齢の割りには、と思わせるけれど、確実に時間が刻み込まれた目尻の皺が、ふわっと笑うと一層深くなり、そこから見える無邪気な眼の輝きは、きっと若い頃から変わっていないのだろうなと思わせる。
「急なのは分かっているわ。でもこの子、きっとあなたも気に入ると思うの。今度一緒に来るから、よく考えておいてね」
そういうと一枚の封筒を置いて帰ってしまった。彼女と話すのが苦手な同僚は、口を揃えてお客様としてはマイペース過ぎると言っていた。その上話が終わらないものだから、誰も彼女に接客をしようとしてなかった。
「ちょっと、何今の。呆れたわね。何も買わないで帰るなんて」
キョウコですら苦手に思っているらしく、タエさんが来始めた頃はいつも私に助けを求めていた。
「来てくれただけでも嬉しいじゃない。きっと寂しいんだよ」
「そう思わないけどね。あの婆さんはどっかの社長婦人だって聞いたし、どうみたってお金持ってそうじゃん」
「お金持ちだと寂しくないってキョウコは思うの?」
「少なくとも、無いよりはね」

キョウコは本当の孤独が何かを知らないから、そんな事を言えるんだ。タエさんが寂しい人だなんて考えたくないが、好かれる理由が何処にあるのか結び付けられなかった私は、それ以上キョウコと会話を続ける気になれなかった。
渡された封筒を直ぐポケットにしまい、業務に追われたままその日は過ぎていった。

_____年末の忙しなさは嫌いではない。没頭する時間がいつもより増えて、あっという間に一日が終わるし、人の事など考えている余裕など無くなるからだ。いつもなら、だが。

家に帰ってから、彼女から貰った封筒の中身を見たが、彼女の優しさを素直に喜べなかった。
今まで私の方からは人と接しない様に生きてきた。距離を縮めて来られても遠ざけてきた。喜べないのは彼女が嫌いなんじゃなくて、そんな積み重ねが起因しているんだと思う。
私が幸せに近づくと、不幸の死神が嗅ぎつけて来ると思っているし、私と一緒に居る人を不幸に巻き込んでしまうのも嫌だ。だから誰も傷つかない様に、何も起こらない道を選んで一人で歩いて来たんだ。
それなのに、タエさんは私の閉ざした扉をこじ開ける様な事をしてきた。
決して嫌な訳ではない。彼女の事は好きだし、年齢が離れていても素敵な友人になれるだろう。
だからこそ、これ以上踏み入れては、近づいてはいけないんだ。それに彼女は私の表面しか知らないし、知られてがっかりさせたくない。
私の生い立ちも、隠している性格も、きっと彼女が期待しているものではないだろうから。

「センベエ。君は悩みが少なそうでいいね。そもそも猫って悩むのかな?どう思う?」
センベエに聞いたって何も返事が帰ってこないのは当然分かっている。大体そういう時は私のストレスが溜まっている時か、どうすればいいか分かっている時だ。
普通に考えれば、誰だって幸せになりたい筈だ。でも、全ての人間が幸せに向かって歩けるかと言うとそうではない。諦めざる得ない人間だっているんだ。
封筒に入っていた手紙は、閉ざしていた私の心をノックする様な内容だったから辛いんだ。
「お見合いなんて……、出来る訳ないじゃんね……」
タエさんには悪いけど、私には向いてない生き方なんだ。きっと……そうだ。

「いけない。考え込んでたらすっかり遅くなっちゃった。センベエ、一緒にお風呂入る?」
拾ってきたセンベエは親からの愛情を受けたことがなかったのか、身体中から痛みを伴う様な嫌な臭いを発していた。
臭いが取れないままにしておくのも可哀想になり、部屋に来た初日にお風呂に入れようとしたが、猫は水に濡れるのを嫌うと聞いていたし、暴れて爪を立てられたらと、尻込みをしていた。
だけどそんな思いは杞憂に終わり、センベエは私の腕の中で身を委ねる様にじっとしていた。余程怖かったのかは分からないが、水に濡れても平気な猫もいるもんなんだと、その時は簡単に片付けてしまった。
それからは私がお風呂に入ろうとする度に一緒に浴室まで着いて来て、洗面器にぬるま湯を張ると、その中でじっと私が出るまで待つ様になった。後から職場の猫好きな同僚に聞くと、かなり珍しい行動だと言われた。本来猫にとっては苦手な場所なのに、一緒に居てくれるなんてと、少しは誇らしげに思ったものだ。

センベエをタオルで拭いていると、テーブルに置いていた携帯画面が点灯しているのが目に入った。
「いけない。お父さんから掛かってきてる」
着信がある事を知らせる画面が、こんなにも心を落ち着かせるなんて思いもしなかった。
今日も短いコールで電話に出た父の声は、相変わらず私に優しかった。
「さっき試しに僕から電話を掛けてみたんだけど、ダメみたいだね。呼び出し音が鳴らなかったよ」
……え、さっき確かに父の番号が履歴に残っているのを確認したのに。また携帯の調子が悪くなったのだろうか。
「まあ、いいさ。娘からの電話を待つのも悪くないしね。……うん。その方が威厳が有りそうでいいな」
本気で言っているなら子供の様だと思うし、私を気づかって冗談を言っているのなら優しさを感じる言葉だ。どちらにしても、父も会話に飢えていたのだろう。
「こんな時間って事は、仕事が忙しかったのかい?そう言えばまだ君がどんな仕事をしているのか知らなかったね。仕事は楽しくやっているのかい?」
「もう、一度に二回も質問しないでよ。うん……。楽しくやってるよ。仕事はお客さんが綺麗になるお手伝いかな」
仕事が楽しいなんて感じた事はあまり無かったし、化粧で心を隠した女性を綺麗だなんて思った事なんて一度もない。
「ねえ。お父さんってさ、大学でお母さんと知り合ったんでしょ?最初はどんな感じだったの?」
「急になんだよ。もう少し君の話を」
「良いでしょ。娘のワガママに振り回されるのも、父親らしくて」
素直になれない事に罪悪感を覚えたのだろうか。でも、二人の事を聞きたい気持ちは本当だ。
「素敵な女性だと思ったよ。古い言葉だが、可憐な花の様だった。学内の階段ですれ違ったのが最初でね。とても良い香りの香水だったから思わず振り返ったんだ。そしたらたまたま目が合ってね。見惚れていると彼女がこう言ったんだ ”綺麗な眼の色してますね” って」
「なんか映画のシーン見たい。それって本当なの?」
「嘘なんか言わないさ。ただ、僕も現実味がなくて何も言えなかったけどね」
「それで?もっと聴きたい。どうやって好きになって行ったの?」
「なんか気恥ずかしいものだね。こうして娘に話を聞かせるのは」
なんて言いながらも、満更でも無かったのか父は母との想い出を、まるで昨日の事の様に詳細に話してくれた。
その声はまるで子守唄の様で、気を張って一日を過ごしていた私を抱き抱えてくれている様だった。

「朝美?……聴こえているかい?朝美?……寝てしまったみたいだね」
「やれやれ……。きっと君が本当に聴きたかったのは、そんな事じゃないだろうに」

続く

次回更新1月30日

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