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_____” 彼の灯台守としての一生は、決して楽なものではありませんでした ”
そんな一文から始まる小説は、私をその世界に引き込むに充分なリズムで綴られていた。
小さな村の、孤独な灯台守の一生を書いたもので、順風満帆な灯台守の仕事風景から始まる。
” 今日も良い空と海だ。神様は機嫌が良いらしい ”
作者は外国人で、内容も海外の古い描写が多い。主人公の仕事っぷりはとても穏やかなもので、荒波に飲まれかけた船を助けたとか、荒天の中、壊れかけた灯台を修復するだとか、分かり易いハラハラする描写は無かった。温和な性格の主人公は村人や船乗りに好かれていて、彼の順調な人生を疑う者は、読んでいる私も含めて居なかった。
しかし、穏やかな暮らしは最初だけで、美しかった近海が人間の都合で汚染されて行き、徐々に魚が姿を消していってしまい、灯台の近くを通る船がいなくなった頃、彼の暮らし振りも輝いていた頃と違って、一層暗く静かなものになってしまう。
灯台守以外の仕事に付いた事がなく、家族も持っていない主人公は、実直に灯台守の仕事を続けるしかなかった。寧ろそれを望んでいた。主人公は長い年月の間、海を見つめて過ごす。ただひたすらに過ごす。岬の向こうに飛んでいる海猫を羨んだり、極稀に沖合で跳ねるイルカを妬んだりする事なく、彼の一生をただひたすらに真っ直ぐ過ごしていた。
ページをめくっていた私のリズムが段々と重くなる。一行一行、文章が胸を突き刺す様だった。生きる辛さや逃げられない辛さを、主人公は嘆き悲しみ、恨む訳でなく、それが当たり前の自然だと、受け止めているのだ。
重宝がられた頃と打って変わって、主人公はどんどん孤独になっても、依然と青く広がる 空や海を愛し、生命、というものに感謝していた。そんな彼を村の物は嘲笑う。

” 必要とされていない事を続けるなんざ、あいつは悪魔に魅入られているに違いない ”
” クラーケンがあいつを手先にしたのだろう、あの気が狂った眼つきがそう言っている。あいつのせいで海は汚れたのだ ”

いわれのない中傷が彼を襲い続ける。
静かに揺蕩う水面から、幾度も悪魔が「もうやめろ、死んでしまえ。お前は誰にも必要とされていない」と囁いても主人公は耳を貸さず、ただ生きる。
やがて彼のやせ細った拙い炎が、灯しを消そうとした頃、長い間聴こえて来なかった音を海風が運んで来た。
” ぼー、ぼー、ぼう ”
一隻の船が右舷から追い越す時を知らせる時に発する汽笛だ。追い越される船は同意を知らせる汽笛を鳴らす。
” ぼー、ぼう、ぼー、ぼう ”
その後に二隻の船が同時に長い汽笛を鳴らす。
” ぼーーーー ”
” 灯台を守る君のお陰で僕等は迷わなくて済む ” そう感謝の言葉を伝える様に。
主人公はその音が聴こえたのかは分からないが、笑顔を浮かべて息を引き取る描写と共に、彼の物語は幕を閉じる。

本を閉じた時、胸がいっぱいになっていた。言葉の色で様々な花があっという間に咲き乱れ、私の心を着色して行く。この状況に対する適切な感想なんて出てくるだろうか。だけど、むやみやたらに色の付いた言葉が咽喉の奥から飛び出しそうになる。いつの間にか、私は自分をこの物語に重ねていた。幸人さんは何を感じたんだろう。この物語の向こうに何を見たのだろう。

_____「初戦敗退、ってところかな」
父は日を追うごとに昔の様な口調で私をからかうようになってきた。それはそれで悪くは無いけど、会えないもどかしさを誤魔化している様にも感じた。
「別に勝ち負けとかじゃないよ。……そりゃあ、断れなかったけど」
「断れない何かがその人にあったんだろ?それで、その本の感想を言いに行くのかい?」
感想か……。読んだそのままを伝えれば良いんだろうけど、読後のあの気持ちをなんて伝えれば良いんだろうか。それに、それに私は……。
「分かんない」
「感想の言葉がかい?僕も読書感想文は苦手だったなぁ。小学生の時に書いたのなんか酷かったさ。あとがきを如何にばれない様にアレンジするか苦心して書いた記憶が」
「そうじゃないの。もし、あの人に気に入られたとしても、その気持ちになんて答えたらいいか分からないの。私みたいな女じゃ……」
自分で発した言葉に驚いた。父もそれ以上に驚いていたのだろう。二人とも暫く無言になってしまった。
「背中を押すまでもないみたいだね。父としては多少複雑な心境ではあるが、君の人生が豊かになる事にはなんの抵抗も示さないさ」
「……それは幸せを知っていればの話でしょ?」
ヤケになっていた訳じゃない。黒い物を抱えたまま、生きていくのに疲れ始めていた事に気が付いたのかも知れない。だからぶつけてみようと思った。
「私は……。六歳の頃からずっと愛情も、幸せがなんなのかも知らないまま生きてきた。だって、こっちのお父さんはもう死んじゃってるんだもの。私、もっとお父さんやお母さんと居たかったのに……。何も知らない私が人を愛せるなんて考えられないよ。どうすればお父さんとお母さんみたいに愛し合えるの?」
痛烈な言葉だったと思う。不可思議な状況で何が適切な言葉なのかもう良く分かっていないが、こっちの世界では父と母は死んでいる事に変わりないんだ。不思議な力が働いて、もう一つの世界の父と話が出来ていたって、両親がいないまま育った私の歴史は変わらないんだ。この時の私は手に入らない物にすがりつく子供の様になっていた。
「確かに君が言った通り、起きた事実は変わらないし、同じ世界で一緒に暮らす事なんて出来ない。繋がっている様で、この状態はとても薄い繋がりなんだ。……でもね、一つだけ君が言った事で間違っている事がある」
戯けた声のトーンから、一気に張り詰めた弦の様に真剣さを伝えて来る。
「僕と幸恵が大学で出会って想いを育んだ時間、二人の間に産まれて来てくれた君の存在、君が六歳になるまで三人で暮らした大切な想い出。そのどれもが君と僕と幸恵共通の事実なんだ。三人で居た事実は、こっちの世界も君の世界も同じ筈なんだ。残酷な出来事が三人を別けて辛い思いを沢山しただろう。それは君の大切な物を忘れさすには充分な時間だったかも知れない。でも、辛いかも知れないが、あの時間、あの場所を思い出して欲しい。あの海なんだ。家族三人で行った海で」
海、私が行きたいと駄々をこねたあの海。あの海にさえ行かなければ事故になんて遭わなかった。
「なんでそんな辛い事を思い出させるの?もうイイよ、お父さんが思ってくれてるのは分かった。でも思い出したくないよ、だって私が海に行きたいなんて言わなければお父さんもお母さんだって」
「……美。……聴こえ……かい?朝美?」
電波が悪いのだろうか。携帯が息切れしたみたいに途切れ途切れになっている。
「聴こえているよ?お父さん?電波が悪いの?」
また調子が悪くなってしまったのだろうか。携帯を顔から離し、キチンと三本立っているアンテナのマークを見て嫌な予感が走った。
「お父さん?お父さん?……ねぇ、聴こえているなら返事してよ?」
さーっ、という風で舞い散った砂が木の板に当たり続ける様な音しか聴こえなくなっている。灰皿に煙草の灰を落とす細かい生活音ですら、以前は聴こえていたのに、今は停電になってしまった真っ暗な部屋の様に、向こう側を探る事が困難になった。
薄く繋がっていた二人の電話に何か起きてしまったのだろうか。一度電話を切って掛け直しても、話中の音も流れず、ずっと砂の音だけだった。何度も何度も電話番号をなぞる様に掛けてもそれは変わらなかった。
変わらない、という事は希望が限りなく少ないという事と同義でもある。いや、もしかしたら繋がる様になるかも知れないが、そもそもが起こり得ない奇跡だったのだ。そんな奇跡が二度あるなんて、余りにも都合が良過ぎる。こんな突然、二度目の別れが来るなんて。どうせ繋がらなくなるなら、変わった私をちゃんと見せたかった。父に愛された母の様な笑顔で生きていくと、胸を張って伝えたかった。……きっと、私は閉じ込めた心を剥き出しにしたかったんだ。二人がくれた命を無駄にせずに、生きる喜びを味わって生きていきたいんだよって、だから、もう大丈夫だって。

日が変わるまで、あと数時間はある。借りた本と携帯をカバンに放り込んで玄関を飛び出した。
まるで、父に背中を押されたかの様に。

続く

次回更新 2月20日

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