洋館

14

教えられた住所に辿り着くと、冷んやりした鉄の様な青空の下に、明らかに周りの住宅とは異質な豪邸が存在していた。重力を改めて感じさせる荘厳な佇まいで、本当に私がこの中に入っていくのだろうかと、現実感を認識するまで少し時間が掛かった。
「やっぱり合ってるよね、住所……」
こうまであからさまに住む世界が違うのだと主張されると、笑いさえ込み上げて来そうだ。
背丈よりも大きい正門でどうしたらいいか分からずに狼狽えていると、小さなスピーカーが私の名前を呼んだ。
「﨔田さんですよね。今お開け致します。そのままお入りください」
私が今日来るという事は、門内の中では当たり前の認識なのだろうが、その事実に少し気圧されてしまった。
遠隔操作で口を開いた門は、迷い子を招き入れる魔女の口なのか、非日常から日常へと戻る帰り道か、そこまで深くは考えられない程に私は少女に戻っていた。

庭園、というものを実際に目の当たりにした事はないが、こんなにも異質な爽やかさを振りまくものなのか。胸焼けする程の裕福さを見せつけられてしまい、この状況が映画であって欲しいとさえ思った。そうすれば今よりもっと他人事でいられたのに。

私を招き入れてくれた声の主は、想像よりも小さく愛着さえ湧きそうな老人だった。
タエさんの古い友人と後から聞いて、二人の関係性に神秘的なものを感じた。
「お気を悪くされないでください」
と前置きをした上で、彼は私に言葉という手段で歩み寄ってくれた。
「お伺いしていたイメージ通りの女性で、安心しました。奥様と貴女に」
彼の刻んだ年輪から出てきた言葉なのだろうか、それとも、うがってしまっても構わない言葉なのだろうか。私の住んでいる世界では通用しない通貨を求められたようで、どう返せば良いか正解か定まらなかった。
客間に通されると同時に、消えかけた幼さをためらいも無く表面に出したタエさんに抱き締められ、危うく泣きそうになってしまった。それと同時に改めて今日の覚悟が出来たのだ。
「お店以外で逢うのは今日が初めてね。記念日が増えて嬉しいわ。今度お祝いしましょうね」
恥ずかしくなる様な台詞は、まったくの違和感がなく、目尻から拡がる一条一条の皺へと滲み出て、そのまま私への愛情を伝えて来る。どうしてこの人はこんなにも素直で居られるんだろう。

「あの子、少しお話しが上手くないの。朝からずっと紅茶ばかり飲んで、やっぱり緊張しているのね。だから、決して気を使わないで頂戴ね。リードしようなんて思わなくていいわ。素直な貴女を見せてあげてちょうだい」
意図がすぐ汲み取れなかった。ボンヤリとした夢中にいる意識の中で、タエさんの口元だけが、シュバンク・マイエルが創るコラージュの様に動いていたのだけは認識していた。
「あら?貴女も緊張しているのかしら。いいのよ、親戚の家に来たと思ってリラックスすれば」
私に取っては胸に焼石を押し付けるに等しい言葉だ。でも、お陰で意識がハッキリしてきた。
「こんな豪邸に住んでいる親戚なんていませんもの。でもホッとしました。タエさんが今日も優しくて」
「素直なだけよ。いつかあなたもそうなるわ」
年輪が刻み込まれた咽喉から詰まる事なく出てくる言葉にいつも尊敬してしまう。この人はありのままに生きてきたのだと、そしてそうありたいと思わせる不思議な力を持っている。
若さの残る赤い絨毯を歩き終えると、全面が白く、大きな扉が全てを受け入れる様な形でそびえ立っていた。背丈の倍はありそうな重厚な扉を老執事が両開きに開けると、荘厳さ、とは似つかわしくない朴訥な青年が籐椅子から立って迎えてくれた。
「初めまして。幸人、と言います」
きっと世間では頼りないで片付けられてしまうだろう。でも、気弱、とは言い難くしかし疚しさから来る態度でもない。強さが風体に現れている訳でもないのに、どこか浮世離れしている垂直線を彼の背景に感じた。
「祖母のワガママに付き合わせてしまって申し訳ありません」
自分の、ではなく祖母のと添えたのは、今日のこの場は彼の本意ではないのだろうか。
「あら、随分な物言いね。ワガママな祖母はお茶を入れてきますわね。アサミさん、ゆっくりしてらしてね」
茶目っ気のあるウィンクをすると私と彼だけの時間が始まった。さっきまで意識していなかったのに、ようやく現実が降りて来た様で、何も言葉が出なくなってしまった。こんな時、バーで飲んでいた時はどうしてたろうか。
「居心地の悪い家でしょう。僕も苦手なんです」
謙虚さから出てくる言葉とは明らかに違う。その眼から、自虐的な冗談を言っているとも思えなかった。
「祖母がいつも貴女の事を話してました。可愛らしい友達が出来たって、とても喜んでましたよ」
タエさんが私を友達だと思ってくれている。その言葉を聞けただけでも、今日はここに来て良かった。そう思うと同時に、もっと違う形でこの家に来られたら、とも思った。

アンティークなオールドパインテーブルに隠れた彼の両手が、所在無さげに細かに動いている。必死に落ち着こうとしている雰囲気が、不器用にも丸見えになっていて、まるで少年の様だった。話が上手くないのでは無く、女性とのコミュニケーションに慣れていないのでは無いだろうか。
「タエさん、遅いですね」
「お茶、遅いですね」
不意に重なった二人の気まずさに思わず目を合わせてしまい、なおの事彼は押し黙ってしまった。このまま会話が弾まなければ、これ以上の苦労はしなくとも済む。この時はシンプルにそう思っていた。
「あの、本はお好きですか」
堅苦しいこの雰囲気を打破しようと、振り絞った彼の声が沈黙を破った。私の返答を待たずにテーブルに一冊の本が置かれた。所在無さげだった手の先にあったのは、読み込まれた節がある文庫本だった。
「今日、貴女がここに来ると聴いてから、本棚から探し出しました。幼い頃に祖母が私にくれた本なんです」
本の上に置かれたままの手から、なぞる様に彼の瞳を見た時、ああ、やはりタエさんの血を受け継いでいるのだなと不意に感じた。子供を慈しむ様に本を見る視線は、本の厚み以上に重厚な想い出が詰まっている事を容易に想像させた。
「僕は無理やり恋人を作ろうとする事が自然だとは思えない。なんて言っていいか分からないけど、自然を望みたい。今日、貴女が来てくれたのが一つの切っ掛けならば、この本を読んでみてください。そして、もし感想を僕に伝えたくなったら、また遊びに来てくれませんか?その時、貴女の感想が僕の想いと重なったら、きっと僕は貴女の事を好きになれると思うんです」
それ以上、話をするのも、ここに居るのも無粋な事だと当然に思えた。タエさんが丁度お茶を運んで来たのは、彼から受け取った本をカバンに仕舞い、籐椅子から立ち上がる所だった。

少し困った顔をしていたタエさんに、きっとまた来ますと伝えた時、本当にまた来るという確信が何故か強く感じられていた。

続く

次回2月13日 更新

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