黒猫

 

4

「年末年始はどうするの?良かったら旅行にでも行かない?」
キョウコからこんな提案をしてくるのは珍しい事ではない。断り続けているのに良く諦めないものだ。
「ごめん。多分実家に帰ると思う」
帰る実家なんて有る訳無いのに、咄嗟にいつもの調子で答えてしまった。年末年始に楽しい思い出など何一つ無かったし、社会に出てから誰かと過ごすなんて発想も無かった。
「あらそう。じゃあ邪魔しちゃ悪いわね。また今度ね」
これがキョウコの社交辞令で無ければ来年も誘ってくるのだろうか。それともクリスマスの誘いを断った当て付けなんだろうか。……こんな事ばっかり考えているから、きっと疲れてしまうんだろうな、人間関係に。せっかくタエさんと話して気が紛れたのに、ああ、勿体無い事をしてしまった。

私が働いている百貨店は大晦日と元旦が休みになっていて、希望者がいればどちらかの前後に休みを申請しても良い事になっている。ただし休みが取れるかどうかは人員が確保されるかどうかだし、お局様優先という空気感が強いので、誰でも簡単に取れるものでも無い。
無論、私は今まで休みを取った事は無い。無理に取る用事もないのだけれど。

職場を出て駅に向かう道すがら、昨日行ったバーが気になった。記憶を無くす程泥酔したのだから迷惑を掛けてはいないだろうか。このまま帰っても気になってしまうだけだし、どうせなら行って謝りに行こう。昨日向かった道を辿れば見つかる筈だ。

_____二本目の缶コーヒーが空になった頃に違和感を感じ始めた。この前来た時はこんなに歩かなかった筈だ。一軒目のバーを出た時はお酒もそこまで飲んでいなかったし、足取りもしっかりしていた。駅とは反対方向に、なるべくネオンが少ない道を選んであのバーを見つけたのだ。クリスマスのネオンがもう無くなっているとはいえ、土地勘が無い訳ではないのにこんなに迷う筈がない。それとも実は一軒目のバーを出た時には既に酔いが深かったのだろうか?

その後三本目のコーヒーを買おうか迷った辺りで、諦めの気持ちが囁き始め、椎名町の駅が見えた頃、帰る決意を固めた。バーとの出会いが一期一会になるとはなんとも私らしいが、名残惜しい気持ちになったのは何故だろうか。唯一残っている記憶、と言って良いか分からないが、きっと私はそこで泣いていたんだ。だからマスターに謝ろうと赴いたのに。
でも、どうして泣いていたんだろう……?

「ただいま、センベエ」
部屋の鍵を開けると、しっぽをピンと伸ばして足下に擦り寄って来るセンベエを抱き抱え、鍵をガラスのテーブルに放り投げる。抱き抱えたままソファに座り込み、少し太り気味なセンベエのお腹に顔を埋める。ニャッ、と短く鳴くと、そんな事より早くご飯の準備をしてくれと私の両手から抜け出し、餌皿の前に背を向けて座り込む。このマイペースな背中がとても愛しいのだ。毎日繰り返すこのルーチンが、凝り固まった心を解きほぐしてくれる。

センベエは孤児院の裏に捨てられていた子猫のうちの一匹で、真っ黒い身体を小刻みに震わせている姿を見て、きっとこの仔は私なんだと思い引き取る事に決めた。
最初の一週間は部屋の隅から動かなかったので、その場所に毛布を敷いてあげ、餌皿を置いてあげた。
二週間目は、部屋の隅から少し動く様になったので、中心に餌皿を置いてみた。寝床は変わらず部屋の隅だった。
三週間目から、この部屋全体が彼の部屋になった。同じ部屋に餌皿を置き、一緒の布団に眠る様になった。
この時初めて名前を付けていない事に気付き、アニメのキャラクターからセンベエと名付けた。名前を付けてからは益々愛着が湧き、私とセンベエの小さな世界が形成されていった。センベエの為にした事が愛情なのかと言われればきっとそうなんだろうか。彼が私に示す行動が愛情なのだと言われればそれもそうなんだろう。既に四年半一緒に暮らしていたが、まだこの時はお互いの生活空間に存在するものが増えた、というだけの認識しか私にはなく、やはり愛情というものに何かしらの距離感を置いていたのかも知れない。

「何してるの?ダメだよそこでオシッコしちゃ」
珍しくセンベエが私のカバンをガリガリと引っ掻いている。何かを掘る仕草をするのは猫特有の排泄行動の前兆だ。慌ててカバンを取り上げるとサイドポケットを執拗に気にする素振りを見せる。
「別に君が欲しがる様なもの、何も入っていないよ?」
ポケットを弄って見せると丸い形状の厚紙が手に当たった。
「あれ、何だろ、これ」
丸い厚紙の正体は私が今日探し求めていた筈のバー、エヴェレットのコースターだった。
「やっぱり行ってたんだ。エヴェレット……。あれ、この番号?」
裏を捲ると見慣れない携帯電話番号が書かれていた。エヴェレットで誰かと一緒にいたという証拠でもある。しかしそこに至るまでの記憶がまったく無い為、果たして自分が貰ったコースターなのかも自信が持てない。
「まあいいか。相手が知っていれば素直に聴いてみよう。ね、センベエ」
コースターを見つけた当事者は、既に興味を失って毛布の上で丸くなっている。このマイペースさにきっと助けられているんだろうな。

ダイヤルをするとブツブツと暫く雑音が入った。数秒無音状態が続いた後に呼び出し音が鳴ると今更心拍数が上がっている事に気がついた。
電話に出た相手はやはりまったく記憶にない、しかしどこか懐かしいリズムで話す男性だった。

「あの……私に電話番号を教えてくれた方ですか?」

続く

 

【ライター紹介】

藤井 硫 (男性)

東京都在住

短編小説とイラストを描いています。
頭の中の妄想を、ほいっと見せる事が出来たらどんなに楽だろう。
イラストとか小説とか見るのに時間掛かるじゃん、だからこれ見てみなよ、な?面白いでしょ?
が出来たらどんなに手っ取り早いだろうか。

でもそれが出来てしまったら創作家いらなくなってしまうよね。
じゃあダメだわ。はい、他の案考えよう。
っていう人間です。

めさき出版SNSにて活動中

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