鶏

 

5年2組の学級会は静かな緊張に包まれていた。

担任教師の田島さなえは、ベテラン教師らしい落ち着いた、しかしよく通る声でもう一度繰り返した。

「ニワトリ小屋から卵を盗んだ人は本当にいないのね?」

彼女は注意深く生徒の顔を見回していった。

生徒達は仲の良い者同士でちらちらと目線をやりとりしながら、随分と長引いているこの会の終わりを待っている。

「いいですか? 卵からはもうすぐ雛がかえる予定でした。クラスみんなで見守ってきた卵です。もしかしたら愛着を持った誰かが、雛を自分だけのものにしたくて持っていったのかも知れません。その気持ちは先生も分かります。生き物に対して愛情を持つことはとても良いことです。でも、だからといって黙って持っていっても良いということではないんですよ? もし雛を自分で育てたいのであれば、みんなの前でそれを伝えて、了解をとるべきなんです。もう五年生なんだから皆さんも分かっているはずですね?」

悪ガキグループの数人が田島さなえの目を盗んでひそひそ話を始める。

〝田島、話なげえな〟

〝そんなガキみたいなことしたの誰だよ?〟

〝早く帰りてえ、勘弁しちくりぃ〟

壁掛け時計の秒針が刻む、チッチッチッという音が聞こえるなか、学級委員長の溝倉里美が、背筋を伸ばしてすっと手を挙げた。

「先生、確認しておきたいことがあります」

「なんでしょう?」

「先週の飼育当番は、山中君でした。金曜日の放課後にニワトリ小屋の掃除をしていたのも山中君です。カギを掛けて帰ったのも山中君のはずです。山中君?ちゃんとカギは掛けたんだよね?」

急に話を振られて、直樹は耳まで真っ赤になった。人から注目されると途端に緊張してしまう性格なのだ。直樹は、か、か、か、か、か、か、か、と何度も繰り返し、やっと言った。

「掛けたよっ…!」

その様子をみて数人の女子生徒がくすくすと笑い出した。

〝か、か、か、か、か、か、か、カケタヨッ!〟

〝コ、コ、コ、コ、コ、コケッコー!〟

すかさず悪ガキ達が直樹のマネをしてからかい始める。教室に嘲笑の渦が巻き起こる寸前、田島さなえは「静かにっ」と一喝し、場を抑えた。

溝倉里美は続けた。

「今朝、卵が無くなっていたニワトリ小屋にはカギが掛かっていました。だから、金曜日の夕方から月曜の今朝までニワトリ小屋にはカギが掛かっていたはずです。カギは職員室の田島先生の机の引き出しに入っていたから、土日に誰かが持ち出すのは無理だと思います。つまり…」

溝倉里美は声をつまらせた。さっきまでの毅然とした雰囲気から一変して、途端にしおらしい態度になる。犯人を名指しするのはさすがに気がひけるということなのだろうか。それとも、非道い女と思われたくないという計算が働いたのか。溝倉と仲の悪い女子生徒が目配せして苦笑している。

「なんだよ、ガチャピン、てめーかよぉ」

悪ガキグループのリーダーである月本健吾が、教室の一番後ろの席からわざとらしい大声で責めたてた。

小さな背、おかっぱの髪型、ぎょろりとした垂れ目、前歯の目立つ歯並び。

直樹はガチャピンにそっくりの風貌で、小さな頃からその名前は不名誉なニックネームになっていた。直樹は必至で首を振り、「違うよっ…!」と叫ぼうとしたが、焦って声がでなかった。また、ち、ち、ち、ち、ち、と吃音を繰り返し、月本とその仲間達は楽しそうにその様子を眺めていた。

〝あいつ、生き物が好きすぎだよな〟

〝人間より動物のほうが友達多いからな〟

〝しょーがねえじゃん、ガチャピンなんだから〟

次第に悪口がエスカレートしてきたので、田島さなえは天井を仰ぎ、月本達を叱りつけようとした。だが、その檄がとぶ前に直樹と幼なじみの若井太志が声を挙げた。剣道で鍛えた張りのある声だ。

「直樹さあ、お前が掃除してた時に卵ってあったんかよ?」

「…分からない。よく見てないから覚えてないし…卵は親鳥の体の下だから…」

「じゃあ、放課後の掃除の時点で卵はなかったかも知れないってことだな?」

「…そう…かも…」

「放課後に直樹がカギをかけるまでは、ニワトリ小屋は誰でも出入りできるんだから、直樹が犯人とは決めつけられないと思うんですよ」

若井太志は教壇に立っている担任に向かってそう言うと、むすっと腕を組んで黙り込んだ。田島さなえは思案して頷き、溝倉里美に目をやった。溝倉は俯いてじっと机を見つめていたが、自分の意見にたてつかれて不機嫌になっているのが見て取れた。田島さなえは直樹を見て言った。

「山中君、あなたは卵をニワトリ小屋から持っていってはいないのね?」

「も、も、も、持っていってません」

「分かりました」と田島さなえは言って、深く息を吐いた。

「この件は職員会議にかけることにします。卵は理科の授業のために育てていましたが、その前にひとつの尊い命でもあります。その尊い命を、もしこの学校の生徒がいたずらに扱うとしたら、それは黙って見過ごすことはできません。また、土日に職員室に誰かが忍び込んで先生の机を開けて、ニワトリ小屋のカギを持ち出した可能性があるのであれば、それはそれで大変な事件です。防犯の面からも校長先生を含めて、先生方全員にお知らせする必要があります。最後にもう一度だけ聞きますが…」

田島さなえは再び教室を見回した。

「本当に卵のことは誰もしらないんですね?」

誰も何も答えなかった。

「…じゃあ、学級会はこれで解散とします。このまま帰りの会をしてしまいましょう。今日の日直は誰ですか?」

「はいはいはいはい、俺でーす」

月本が両手を上げながら、阿波踊りのようなふざけた足取りで前へ出ていった。歩きながら、か、か、か、か、カケタヨッとしつこく直樹のマネを繰り返すので、田島さなえに小突かれた。ああこれでまた新しいいじめが始まる。直樹はそう思って暗い気持ちになった。若井太志のほうをちらっと見ると、目が合った。腕を組んだままの姿勢で直樹を見ていた太志は、声を出さずに唇だけを動かして、気・に・す・る・な、と言った。直樹は小さく頷いたが、内心はビクビクしていた。月本のいじめにも、太志にも。

若井太志は幼なじみという間柄、直樹をいじめるグループには決して加わらないが、太志自身も気弱な直樹に対して苛立ちを抑えきれずにいた。特に剣道を始めてからはその傾向が強まってきていた。太志は目立って直樹と付き合うことはなくなっていた。月本達のいじめも怖かったが、最近どんどん体格が大きくなり、自分にはっきり物を言うようになってきたこの幼なじみにも、直樹はかすかな恐怖を感じ始めていた。

月本達にからまれる前に早く帰ってしまおう。直樹はそう思って、帰りの会が終わるとすぐにランドセルを背負って教室を出ていった。廊下を走る直樹の耳に、月本達の笑い声が聞こえてきた。

玄関で上履きを脱ごうとした時、誰かに呼び止められた。溝倉里美だった。溝倉は急いで直樹を追いかけてきたらしく、かすかに息が切れていた。端正な顔立ちではあるが、太くまっすぐな眉に、アーモンドのように少し尖った目、浅黒い肌といった見た目はいかにも気の強い女子を思わせる。溝倉は時に教師をもたじろがせる目力で直樹をぐっと睨んでいる。直樹は気圧されまいと、精一杯胸を張って言った。

「な、なんだよ」

溝倉はまばたきもせず、じっと直樹を見ていたが、

「…私、見たんだからねっ」

そう一言だけ言い残すと、振り返って教室へと戻っていった。

 

(後編へ続く)

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