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月に約一度、三畑幾良が甘味にまつわる掌編小説を書いていきます。

今月の甘味は「チューインガム」です。

*****

ある秋晴れの午後に佐藤は、自分が歩いている場所が谷間なのだということを理解した。
ばき、という音が鳴るのを無視して無理に顔を真上に上げると、灰色のビルの遥か上に空色としか言いようのない空が広がっていた。なるほど、谷底の佐藤が抱える症状は肩こりというのだろう。
ああ死にたいな、と自然に思ってから、佐藤は自分が殺し屋であることに思い至った。殺し屋が死にたいと思うのは、サンタクロースがプレゼントを求めるのと少し似ていて、どちらもたいへん図々しい。
「やあ」
佐藤の歩く先にはいつからか一人の若い男が立っていた。黒のスーツに臙脂のネクタイという出で立ちのその男は、サラリーマンには気軽すぎる微笑みを浮かべている。佐藤は鼻を鳴らして立ち止まった。
「人が折角いい気分の時に」
「君でもいい気分になることがあるんだ? 世界で一番優秀な殺し屋の君でも?」
男は大げさに目を丸くして見せて、佐藤はうんざりした。
「用件を」
「ほい。次のお仕事だ。今回はお国の一大事に関わる仕事だよ」
男は茶色の封筒を佐藤に差し出した。それを見て佐藤は仕方なく男に歩み寄る。封筒を受け取ってその場で開封する佐藤に、男は首を傾げて言った。
「毎回思うんだけど、ここで見なくても封筒ごと持っていけばいいんじゃないかな?」
「個人情報を持つのは荷が重い」
「そんなんでよく殺す相手を間違えないねえ」
「間違えていてもいなくても、殺人は犯罪だ」
「法律で固く禁止されているしね」
封筒から取り出した書類を眺めて、佐藤は片眉を上げた。
「払いはどうなる」
「ご主人様の懐事情を心配してくれるなんて優しいところがあるじゃん」
「俺を使っている奴の財布は俺には関係ない」
「だろうねえ」
男は笑ったままで、それが佐藤の癪に障る。
「手を出して」
子供をあやすような声に佐藤は顔をしかめた。
「君の望むものだよ。これでもなかなか貴重なんだ。仕事が終わるまで食べちゃ駄目だからね」
それでも渋い顔をして動かない佐藤との距離を男はさっと詰めて、佐藤の上着のポケットに何か滑りこませる。男はそのまま、佐藤の来た方へ歩いて行った。
「じゃ、よろしくね」
佐藤は振り返らなかった。ポケットに手を入れて、中身を確認する。
取り出すことが出来たのは、銀色の紙に包まれたチューインガムが一枚きりだった。

指示通りの時間に指示通りの場所に出向いた佐藤は、指示通りの人間に出くわして幻滅する。
「やあ」
少し前に佐藤に仕事を手渡した男が今、目の前にいた。薄暗い部屋の壁に繋がれた手枷足枷が男を拘束し、文字通り身動きのとれない状態に見えたが、男は特に気にした様子もなく相変わらずの気楽な微笑みを浮かべてみせた。
「君なら来てくれると思ったよ。拍手をしてあげたいけど、あいにくこんな状態でね」
古そうな建物のセキュリティに気を遣っていなさそうな様子は見せかけで、このビルのこの部屋に到達するまでにソフトもハードも機械も人間も、相当の警備に使われていて、佐藤はそれを突破してくる必要があった。
「誰も殺していないだろうね?」
「商売人は金をくれない奴に物をやるのか?」
「それでこそ僕の佐藤だ」
男は嬉しくてたまらないという顔をした。
何故それがそんなに嬉しいのか、残念ながら佐藤は理解することが出来る。この男は佐藤の主人にして、世界でたった一人の、人間と同等の人工知能を作ることが出来る人間だ。
すなわち、佐藤にソフトウェアをインストールした人間だった。佐藤の性能は、それそのものが即ちこの男の功績だった。
「折角作った人工知能がまさか死にたいとばかり言っているとは思わなかったけど、ちゃんと仕事は出来て良かったよ」
「生まれた時から肩こりが酷くて死にそうだ」
「それは僕のせいじゃないなあ。全身武器だらけのダサいハードを作った奴らに言ってくれないかな」
男は楽しげに笑った。
人間というのは頭がおかしいが、この男は特別におかしい。佐藤は学習をすることが出来るが、起動した瞬間から死にたいのと肩が凝るのは、この男がそう作ったからに決まっている。
だから、頭がおかしいこの男が、所属していた国家機関をほんの気まぐれで裏切ったとしても、それに腹を立てた国家機関が総力を挙げて男を拘束したとしても、男がそんな国家機関へのほんの嫌がらせに世界一優秀な頭脳を破壊したとしても、佐藤にとっては別段驚くようなことではなかった。
「助けてやろうか?」
佐藤が言うと、男は目を丸くして、それから吹き出した。
「君が冗談を言うなんて成長したもんだ。僕も鼻が高いよ」
「俺を使っている奴の自慢の種になるつもりはない」
「だろうねえ」
佐藤が人差し指を男の眉間に押し当てると、男はふと顔を引き締めた。初めて見た表情だったので、佐藤は驚くが、それは佐藤の仕事とは関係がなかった。
「それでこそ佐藤だ」
佐藤の指から弾丸が飛び出し、世界で最高の頭脳を破壊した。
悲しみの感情も正しくプログラムされているので一瞬眉を上げたが、優秀な殺し屋であるのでそれ以上特に何をするでもなく、佐藤は来る時と同じ苦労をしてその建物を後にした。
細い路地でビルとビルに挟まるようにして、佐藤は男に渡されたチューインガムを開ける。
「20XX/10/29/23:30~
右耳三回→左目一回→パスワード」
ガムを包んでいた紙の内側に細かな字で書かれているのは勿論、生まれた時から佐藤が望んでいた情報だった。
即ち、自殺の方法だ。
パスワードを見て佐藤は苦笑したくなる。その通りに頬を動かして、その顔をしたのは初めてであることに佐藤は驚く。これまでに笑ったことは無かったらしい。
内蔵のクロックで時刻を確認してから、佐藤は右耳を三回引いて、左目を瞑る。
気が進まないままに、佐藤はパスワードを発声した。
「俺を作ってくれてありがとうご主人様」
悪趣味なあの男らしいパスワードだった。
佐藤は肩こりを我慢して空を見上げる。遥か上に広がるのは、都会の明かりに押され気味の控えめな星空だった。
「とても幸せだったよ」
パスワードを最後まで唱えると、すぐに星空が消え、雑音が消え、秋の夜風が消えた。
世界でたった一つの、人間と同等の人工知能は、なるほどこれが死か、と学習したその次の瞬間にそれそのものを破壊して、あの男が十年分押し進めた人工知能研究の歴史を大いに巻き戻す。

*****

次回の小説掲載は11/22(日)頃を予定しています。よろしくお願いいたします。

(三畑幾良)

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