キャッチボール

NHKで甲子園中継が始まると、夏も盛りという感じが出てきますね。

あまり熱心な野球ファンというわけではないのですが、テレビのスピーカーから流れてくる吹奏楽のコンバットマーチを聞いているのは結構好きです。なかなか素敵な夏の風物詩だと思います。

 

最近はあまりやっていないかも知れませんが、僕が子供の頃は夏休みになると毎年のようにアニメ版『タッチ』が放送されていました。

その中でヒロインの浅倉南が主人公の上杉達也に向かって言う「タッちゃん、南を甲子園に連れて行って」というセリフは妙に有名ですね。ほとんど言葉だけが一人歩きしていますが、美人のワガママな物言いとして攻撃対象にされることも多いメイゲンです。

ですが、僕はこのセリフの本質が、ワガママや恋愛からくる甘えとはどこか違うところにあると感じていて、なんとなくその理由が見えて来たので、ちょっとビブリオトークしたいと思います。

 

*ビブリオトークとは、読み手それぞれの視点から自分勝手な作品の「面白がり方」を解説する、ライトでカジュアルな書評トークのことです(僕の中では)。ここから作品のネタバレがあります。掲題の作品を未見・未読の方はそっとお戻りください。

 

さて、件のセリフ「タッちゃん、南を甲子園に連れて行って」を考える時に、まず念頭に置かねばならないのは、上杉達也の双子の弟、上杉和也の存在です。

いや、厳密にいうと上杉和也の”不在”というべきかもしれませんね。なぜならこのセリフが出てきた時のストーリータイムライン上では、上杉和也はすでに死んでいるからです。

『タッチ』はひと言で言うと「死者を間に挟んだ三角関係」の話。双子の上杉達也と和也、そして二人が思いを寄せる幼なじみの浅倉南。

事故によって急逝した弟・和也の代わりに兄・達也が浅倉南を甲子園へ連れていくのですが、当初「南を甲子園へ連れていくこと」は和也の目標でした。往々にして男は惚れた女に向かってやけに大げさな将来の夢を語ってしまうもの。和也にとってそれは婉曲な愛の告白であり、和也は家族や兄弟同然の達也・和也・南この三人の関係性を壊して南を自分の恋人にしようとします。

一方、南は心の底では上杉達也の方に恋愛感情を抱きつつも三人の関係性を壊したくないために、幼馴染・上杉和也ではなく、高校野球選手・上杉和也の栄光の場である「甲子園」行きを応援するという立場をとります。目指せカッちゃん甲子園。気付かないふりというか、あえて受け取り方を変えて対応というわけですね。

ところが、和也の死によって、ただでさえ微妙な三角関係の一角が無くなってしまった。永遠に。そうなると達也と南が近づけば近づくほど、かつて間にいた和也の不在がくっきりと感じられてしまう。まるでドーナツの穴のように。そして “この穴を埋めるためには、もう一度和也のピースを埋めるしかない。つまりは誰かが和也の代わりをしなければならない”。誰かが和也の代わりに南を甲子園に連れていかないと、達也と南が一緒にいる限り、和也の不在によって二人は(特に死者・和也の気持ちを無視していた=見殺しにしていた浅倉南は)内側から苦しむことになる。

だから、「南を甲子園に連れて行って」というのは、高飛車な女のワガママではなく、南のSOSなんですね。自分を甲子園に連れていってもらうことで、自分の感じている死者・和也の存在(和也の不在)を成仏させないと、自分が憑り殺されてしまう。

だから『タッチ』というのは、見方を変えると死者の心残りを、同じ姿カタチをした男に憑依体現させて、そっくり供養、成仏させるという話です。死者を迎える、まさに「お盆」の時期に行われる儀式「甲子園」にぴったりの話ではありませんか。

 

『タッチ』の本質が垣間見えたところで、この話と同じ構造を持つ物語が頭に浮かびます。それは村上春樹の大ベストセラー小説『ノルウェイの森』です。

二つの物語は中心となる登場人物の設定と関係性がほぼ一緒です。達也・和也・南の関係性は、そのまま渡辺・キズキ・直子にスライドできます。

そして『タッチ』が死者の成仏を達成し、死者を殺すことに成功した話だとすると、『ノルウェイの森』は逆に死者を殺すことに失敗した物語です。直子は魂を結びつけた幼馴染キズキの死・不在を振り切れず、心を病んで死んでしまいます。主人公の渡辺は直子に寄り添い助けようとしますが、それによって逆に両者の間にいたキズキの不在をKEEPしてしまいます。なぜなら渡辺は「親友の死を忘れないことで、親友を忘れない」ようにしているからです。不在の存在に耐える冷たい強さを持っているからです。それは作中ではある種の”マトモさ”として描かれています(ちなみに永沢さんもこの”マトモさ”を持っています)。

『ノルウェイの森』の悲劇は「魂を分けた人間の不在の存在に対する受け止め方」の違い(そしてそれは双方に正しい)によって引き起こされています。だんだんとボートが岸辺から離れていくような静かな悲劇です。『ノルウェイの森』の直子は、甲子園に連れていってもらえなかった『タッチ』の浅倉南なのです。

直子が救われるためには、『タッチ』でいうところの「南を甲子園に連れていく」ことが必要だったと思うのですが、作中でのそれが一体何なのか、うまく見当たりません。二人の間でキズキを成仏させる行為ってなんだろうな。そして渡辺くんは二人の死者(不在)に挟まれることで確立される存在という、反転した、自分で自分の存在が確立できない、特殊な存在となってしまいます。

神話の時代から亡霊はよく登場していましたが、近代に入って人類が「個人」を発見してからは、死者と個人の成長、あるいは停滞が紐付けられて語られるようになりました。また恋愛話とは男女の間にある溝(ギャップ)を、苦しみながら克服していく、あるいは克服できない話です。かつてその溝(ギャップ)は身分や立場だったり、財産だったり、見た目だったりしましたが、いまのトレンドでは個人の心の溝がその役割を果たしているようです(いわゆる心のすれ違い、平たく言うとATフィールド)。だから死者と恋愛というのは相性、というか食い合わせがいいのかもしれません。

 

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