bsKAZ96_arakawa

何故人は創作をするのか。それには様々な理由がある筈だ。
自分の存在価値を確かめる為にイラストを描いたり、妄想を作品に昇華させる為に小説を書いたりその手法も様々だ。
作る事に楽しみは覚えるが、同時に作品を生み出す苦しみを味わう事も多い(味わない人間は余程の天才か、盗作の天才に違いない)。
その苦しみすら楽しんでいる間はまだ良いが、次第に辛くなり、産み出せない事にコンプレックスを感じ、創作そのものから逃げ出してしまう事もある(逃げていると認識さえしなければコンプレックスを抱えなくて済む)。
どんな大作家であろうとも、その苦しみは経験している筈で、乗り越えたからこそ大作家として活躍しているのであろう(乗り越えていなければ小作家ぐらいになっているかも知れない)。
スランプに陥った場合は、多くの作家は気分転換をして(現実逃避をして)アイディアを産み出そうとする。その手法もまた様々だ。私が知る限りの(あるいは世間一般でとっくに知られている)気分転換法を紹介しよう。

_____
① トイレに閉じ籠る。
隔離された空間は時として心安らぐものであり、余計な音が一切入ってこない為、思いもよらないアイディアが出てくる時がある(思いもよらない量の何かが出てくる時もある)。
私もよくトイレに閉じ籠るのだが、流石に毎朝閉じ籠ると効果は薄くなる。
またトイレに行くにも様々なバリエーションがある。以下に紹介しよう。

1・裸で閉じ籠る
元々世間とは隔絶された空間だが、その空間の中で開放感を味わう為に全裸になるという如何せん矛盾を感じさせる手法。冬場に行うとまた別の修行になる。

2・電気を消して暗闇にする
暗闇に身を置くことで、思考は次第に概念という物から解放され、生命の起源であったり夕飯の献立で迷ったり、何時から何時までが夕飯か、昨日はうどんを食べたなとか、そもそも夕飯って何だろうという発想になり創作で打ち当たる壁などどうでも良くなってくるのでオススメできない。

3・以上の二つを同時に行う
これは筆者も実践したのだが(自宅はユニットバス)濡れていた床に足を滑らせ、腰と頭部を痛打し、二時間程気を失った事がある。その際に身体中のあらゆる場所に粘着爆弾を付けられるという夢を見て、何か面白い作品が出来そうだなと思った所で止まっている。上級者向けの手法であるので初心者にはオススメが出来ない(もし実践して面白いアイディアが浮かんだら、是非とも世間に発表する前に私までご一報頂きたい)。
② 散歩に出掛ける。
部屋に閉じ籠ってばかりいてはスランプになるのも当然であり、最も多くの人間が実践しているであろう手法だ。ひとくちに散歩といってもバリエーションがあるので紹介して行きたい。

1・寧ろ走る
人と同じ事をしてスランプが解消出来なくて苦しんでいるのだから、いっそ走ってしまうのも有りである。「それは既に散歩ではなくジョギングではないか」と言われてしまっても散歩と言い張ってしまえば良い。散歩の価値観に囚われない事が重要であるので、スランプさえ脱出してしまえば実行した内容など何でも良い(このエッセイの内容を根本から否定する様な気がするが、些細な事に囚われてはいけない)。

2・カメラを持って深夜徘徊をする
これはある種の背徳感を味わう事が主目的であり、日常から掛け離れた行動を取って刺激を受けようという手法である(決してやましい気持ちなど微塵もない。という気持ちが大事だ)。日常的にカメラを首からブラ下げて深夜徘徊をしている諸兄に取っては何の役にも立たないが、交番の近くを彷徨ったりとか、300mm望遠レンズを付けてファインダ越しに自民党本部を見ていたりすると刺激と妄想が倍増するかも知れない(実践して万が一何かあっても筆者は責任が取れないが、確実に私かあなたのネタにはなる)。

3・散歩の定義を見直す
そもそも散歩とは何も目的意識を持たない行動を示す。スランプに陥って散歩に出掛けるのは立派な目的であるから、これは既に散歩ではなくなっているのでないだろうか。散歩が明確化されたものには”ハイキング・登山・ちいさんぽ”などがあるが、スランプ打破を主目的とした場合はどう呼称すべきだろうか。
散歩の語源は中国にあると聞く。三国時代に流行った五石散という滋養強壮薬、これを飲んだ後に身体に毒が溜まらない様、外に出て散発する事が流行った。それから歩く事を散歩と呼ぶ様になったという(wikiはとても便利である事を思い知ると同時に、私が引用すると一気に胡散臭くなる事を思い知らされた)。
ともかく何時の時代も散歩は人間にとっても犬にとっても、なくてはならない習慣である。

③ スマホを弄る。
現在問題視されているネット依存症だが、依存をしていると自覚さえしなければ(依存している多くの人間は自覚していないのでこれは簡単に実行できる)有用な手法になるだろうならかったとしても、愉快な記事が満載のめさきブログを見ていれば人生は幸せである。ただ弄れと言うだけでは、象徴的過ぎるので具体的に考察してみよう。

1・祭壇(あるいは神棚)に祀る
のっけからもう弄くってはいないが、いつの時代も神頼みは最後の手段として用いられている。神々しいまでに輝いてる液晶画面(輝き過ぎていればそれは液晶画面の照度調整が最大になっている)を金メッキ(あるいはタミヤカラーのカッパー色)に彩られた祭壇、もしくは神棚に祀れば何も問題はなくなる。現に携帯端末の信者(主にソニー信者やApple信者)も多いと聴く。彼らも悩み事があった際には神棚(あるいは祭壇)に祀っているに違いない。この際端末のカラーは金色が望ましいので、機種変更の際にはゴールドカラーがラインナップされている機種を選ぶのが良い(なければ自分でタミヤカラーのカッパー色で塗れば良い)。

2 ・充電が無くなった場合、消費具合によっては再起動するまでに時間が掛かるので慌てず座して待つ
せいては事を仕損じると先人の経験に従い、何事も慌てない事が大事だ。先日私の友人(私は友人と思っているが彼は私の事を知人ぐらいには考えてくれているかも知れない)から電話があり、スマートフォンが壊れたからなんとかしてくれと相談をされた(その電話をどこからしてきたのかは不明である)。事情や端末の状態を聴くと充電残量がなくなり過ぎていて、起動までに時間が掛かっているだけであったのだが、十五分や二十分程すらも待てず、端末が壊れてしまったかも知れないと慌てる彼の姿が非常に滑稽に映った。それと比べて私の端末はもう一ヶ月も電源が入らないが、原因が分かっているのだから少しも慌てる必要もない(慌てた所で壊れた端末が直る訳もないのだし)。それに奇跡的に直ったからといって、私の端末にメールや着信が来る事は一年に一回あるかどうかだ。慌てる必要は何もないのだ。

3・以上の様にスマホを弄っていればネタは降りてくる
一見どんなに無駄と思える行為や行動でも、事象の連鎖を意識してさえいれば創作活動の肥やしとなる。犬がワン、猫がニャーと鳴いたと書いても何も面白い事は無いが、拓丸氏が女に振られて泣いた、二度程泣いたと書けば少しは面白くなる(面白いのは私だけかも知れない)。日常的に過ごす中での行動、事象を深く掘り起こし、関係性が全く無いと思われる事を連鎖させて行く発想を絶やさない事こそ、実は一番のスランプ脱出法であり、長々と書いた内容も結局何が言いたかったか私には分からなくなってしまったが、この記事を読んでくれた方が良い案を私に教えてくれれば良いなと思っている事だけは伝えておきたい。

 

 

 

【ライター紹介】

藤井 硫 (男性)

東京都在住

短編小説とイラストを描いています。
頭の中の妄想を、ほいっと見せる事が出来たらどんなに楽だろう。
イラストとか小説とか見るのに時間掛かるじゃん、だからこれ見てみなよ、な?面白いでしょ?
が出来たらどんなに手っ取り早いだろうか。

でもそれが出来てしまったら創作家いらなくなってしまうよね。
じゃあダメだわ。はい、他の案考えよう。
っていう人間です。

めさき出版SNSにて活動中

 

[`evernote` not found]
LINEで送る
Pocket