voi-2

前編の記事はここをクリック。

さて前回、中世のキリスト教社会において忌み嫌われていた“入浴”の描写が存在することから、ヴォイニッチ手稿は反キリスト教思想を有する集団によって記された書なのかもしれない、という仮説に至った。
後編の本日は、ヴォイニッチ手稿の正体の更なる追及と、手稿がネット上で広まった“時空のおっさん”というストーリーにどのような影響を与えたかを検証していきたい。

前回筆者は“反きりスト教思想”の代名詞として“ペイガニズム”という用語を出した。
ペイガニズムとは、自然崇拝や多神教の信仰を広く包括して指し示す、印欧語圏における言葉であり、侮蔑語や差別用語として使われることが多いとされる。
要は、敬虔なキリスト教徒から見て、聖書の教えにそぐわない風習や生活様式をもつ集団を指す語だと思って頂いて差し障り無いだろう。

中世において、それら蛮人扱いされた人々は時に“魔女”と呼ばれ、厳しい弾圧にあったのは、想像に易いだろう。
魔女たちは、様々な効能をもつ薬の知識が豊富だったと言われており、“飛行を可能にする軟膏”と呼ばれるものには、洗礼を受けていない子どもの脂肪に加え、ケシの花・ヘレボルス(クリスマスローズ)・ハシーシュ(大麻)などの植物が使用されたようだ。

その他にも魔女たちは、イヌホウズキの汁液でリウマチの薬を作ったり、幻覚症状を引き起こすアルカロイドを含むオオカミナスビを使い人に呪いをかけるなど、たくさんの植物をたくみに使い分けた。

植物・・・といえば、そう。ヴォイニッチ手稿だ。

ヴォイニッチ手稿には、植物の花や葉の部分のみならず、根の様子までしっかりと描かれている様は、“薬草辞典”を彷彿とさせる。
以上のことからしても、ヴォイニッチ手稿はペイガニズムという括りの中にいた人々が残した書物なのではないか?と筆者は思うのだ。

witch-1042034_640

ーーと、ここまでが筆者によるヴォイニッチ手稿の考察なのだが、面白いのはここからである。
そう。ヴォイニッチ手稿が異次元の住人によって書かれたものでも、単なる偽書であったとしても、正体はどうでもいいのだ。

重要なのは、その古めかしい謎の手稿とネット上の物語が結びついたところにある。

では続いて、“時空のおっさん”の考察に入ろう。

時空のおっさんについては、前回の前編にも張った以下のリンクを参照して頂きたい。

http://www53.atwiki.jp/jikuunoossanmatome/pages/1.html

時空のおっさんとは、その真偽・・・フィクションかノンフィクションであるかはさておき、ネット上に登場し広がりを見せた“物語り”であることに間違いない。

ーーさて、少し唐突かもしれないが、世界中に存在する、ありとあらゆる物語には“系列”というものがある。

例えるならば、本日12月25日にふさわしい話題でもある“サンタクロース”のお話。

サンタクロースが煙突から家々に入り、プレゼントを置いていくという内容は、みなさんもよくご存知のはずだ。

この、サンタクロースの物語であるが、元を辿ってゆくとギリシャ神話に登場する炉の女神ヘスティアーに行き着く。

そして、古代ギリシャの神話群は“オイディプス神話群”と呼ばれ、サンタの話のみならず、多くの昔話に影響を与えている。

先にも登場した炉の女神ヘスティアーへの崇拝から、暖炉や灰は神聖なものとされた。灰と言えば“灰かぶり”の意味をもつシンデレラである。
継母にこき使われ灰まみれだった哀れな少女の正体は、神聖な灰の祝福を受けた神聖な存在だった。

彼女が舞踏会でガラスの靴を片方だけ忘れたのも、オイディプス神話群ならではこその逸話だ。
古代ギリシャでは、人間は大地から出生したという思想があり、大地からの離脱がうまくできないでいる人間(半神半人)は、片足が不自由であるとされていた。

シンデレラは、王子が遣わした使者より無事ガラスの靴を取り戻した段階で、ようやく“人間”となったのだ。

この、“物語の系列”は当然日本にも存在する。

ここでもう一度、時空のおっさんのあらすじを確認して欲しいのだが、

①突然異世界に迷い込む

②異世界の住人(おっさん)に出会う

③元の世界に戻る

という流れ。

どこかで見たことは無いだろうか・・・。

そう、浦島太郎だ。

浦島太郎もまた、異世界の使者(亀)に導かれ竜宮城という異世界に行き、最後には現世へと戻ってくる。

このように、時空のおっさんの物語も、しっかりと伝統的な物語の系列に沿った展開を見せているのだが、その内容には、浦島太郎のそれとは全く異なる点も存在する。ここが問題なのだ。

浦島太郎は異世界へ行き、美女の接待を受けたりご馳走を堪能したりと、現実とかけ離れた経験をする。
そして現世へ戻った太郎は、玉手箱を開け老人へと変貌を遂げ、しっかりと“異世界へ行ったツケ”を払わされる。

一方時空のおっさんは、異世界へ行っても特にコレといった経験をせず(無人の街をウロウロする程度)、会うのも作業着を着たおっさんだ。
そして現世へ戻ってからも特に何の変化も起きず、あわてて2chへ報告を上げて終了。

こうして2つの物語を比べてみると、浦島太郎は結果に重点が置かれるが、時空のおっさんは体験に重点を置き、更に物語を享受するだけではなく、「俺も私も同じ体験をした」と参加して、体験をシェアしているように思えるのだ。なるほど、異世界での一見つまらない体験は、多くの仲間が共感できる次元まで物語のレベルを下げた結果なのだろう。

ああ、何ということだろう・・・。人類が文化を持ち始めて現在に至るまで、確固として守られてきた“物語の系列”が、ネット社会に移行することにより、その系列が崩壊しつつあるではないかーー!

物語の系列とは、言ってみれば人間の根底に流れるイデオロギーだ。
それが変容することは、人類が新たな文明の局面を迎えている証拠だと言っても過言ではないはず。

ネット上に現れた“時空のおっさん”とは、それを象徴する祈念すべき物語なのではないだろうか?

それを促したのは、紛れもなくヴォイニッチ手稿が秘める謎である。

陰謀論的に言えば、ヴォイニッチ手稿とは、遥か未来、人類に文明の変革をもたらすために用意された魔法の書・・・だったのではないだろうか?

最近はかなり下火になった時空のおっさんブームであるが、この先も変化しながら続いていくものと筆者は考えている。
この新たな流れがどこへ向かうのか、引き続き注意深く観察していきたいものである・・・。

 

 

[`evernote` not found]
LINEで送る
Pocket