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「お前が、営業かあ。」

腕を組み、うーんと唸る亨。

「な、なによう。」

亨のその態度になんとなくあとずさりしてしまう。

「それは青天の霹靂だなあ。」

「けど、お前は営業向いているかもな。」

亨の言葉にびっくりする私。

「またそんないい加減なことを。」

今回の配置転換は、かつて会社を傾かせた会長の単なる気まぐれで

私だって不安で不安でしょうがないのに、またそんなことを。

「だってさ、友紀乃は学生時代から見積り出したり、

相手先とサクサク交渉してたろ?」

「あれとこれとは、別物で。」

「ああいうときのお前は一番生き生きしてキレイだったよなあって、

コイツは本当に仕事が好きなんだなあって、俺いつも感心しててなあ。」

「そ、そうなの?」

「でも、友紀乃はこの配属に不安だったんだな。」

そうして亨は、そっと私を抱きしめる。

「あ、亨・・・」

「すまんかったなあ、気付いてやれなくて。」

亨の思いもかけぬ言葉に私は不覚にも感動してしまったようだ。

目から涙が滲んでくる。

「うおっ、お前泣いてんの?」

「な、泣いてないわよ。」

「おい、お前に泣かれると俺どうしたらいいのか、わからんやん。」

珍しく亨は動揺しているようだ。

「め、飯食うか?なんか温かいもん食ったら元気になるか?」

「亨・・・。」

あれれ?

亨にやり込められっ放しの私だけど、このシュチエーション、

これはもしかして形勢逆転のチャンスかも?

「ねえ、亨・・・私やっぱり不安なのよ。だからこれからは亨にも働いてほしいのよ。」

「はあ?い、いや、それとこれとは、話が別…」

きっと、ここが私の正念場!

逃がさないわよ、亨!

少し声を上げてみようっと。

「うっ、うううっ。」

「お、おい、泣くな、泣かれると俺、どうしたらいいかわからん。」

これは驚いた、亨がこんなに女の涙に弱いとは。

そういえば私と亨の付き合いは長いけれど

私が亨の目の前で涙を流したことなんかこれまでほとんどなかった。

亨はよく泣きっ面を私に見せていたけど。

ああ、それにしても自分の亭主を働かせるのに泣き落としとは、

私達夫婦は、何をやっているんだか。

人生は悲喜劇に満ちているわよね。

しかし、この際手段を選んでいる場合ではないわ。

このまま亨を家で好き勝手させておけば、専業主夫の居心地の良さに甘んじ

娘達の手がかからなくなる頃から後は、産業廃棄物並みにかさばることは必死。

そうなる前に、少しでも稼いでもらえるようしておかねば!

我が家には夫を一生専業主夫にしておく余裕なんてないんだから!

報酬を伴わない労働なんてものは趣味となんら変わらないのよ!

亨だって働くようになれば家族を養うため日々苦役に甘んじる

私のありがたさも少しは理解出来るようになるでしょう。

あれ?最後あたりは少々不純な動機が混じってないかしら、私?

ううん、そんなことないわよね。

いえでも、亨だってこれまで主夫として良くやってくれている。

それなのに私の方こそ亨のありがたさをきちんと理解していたっけ?

「わかった、俺・・・働くわ。」

「ええっ?本当に!?」

うそっ、強情な亨がこんなに簡単に籠絡するとは!

「なあ、友紀乃は俺のこと愛してるか?」

「はい?」

何をいきなり。

「俺は、七戸亨は、愛に生きる男だから・・・。」

愛に生きる男ですか。

28にもなろう成人男子から恥ずかしげもなくすごい言葉が出て来たわよ。

亨は痛みをこらえるようにきゅっと目を閉じ天井を仰ぎながら続けた。

「だからお前と子供達のために日々主夫として生きることが俺の歓びだった。

だが俺が稼ぐことでお前の不安が少しでも解消されるというなら

俺は信条を変えることにする

だから、一言俺に言ってくれ、俺のこと愛してるって。

そうしたら、俺はお前のために喜んで働くだろう。」

愛してるって言えばいいのよね。

そんなことぐらいお安いご用だわ。

「愛してるわよ、亨。」

しかし、亨の反応は想定外のものだった。

「なんだよそれはぁぁ!全然心がこもってないやんけ!!もう一回!!!」

えええー、今のじゃダメなの?

うわあ、面倒くさい。

 

〈つづく〉

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