去る7月某日、筆者の家の近くにある「曽我神社」にて、年に一度の祭典が催されました。

筆者が住んでいるのは、静岡県富士市。

富士市は「鍵屋の辻の決闘」(1634)、「赤穂事件」(1702)と並ぶ日本三大仇討ちのひとつ、「曽我兄弟の仇討ち」(1193)ゆかりの地なのです。

近所を詳しく調べてみると、面白いこと富士山に縁のあるニニギの命を御祭神とした「愛鷹神社」を中心に、3つの曽我スポットが存在することが判明。

興味をそそられた筆者は炎天下の中、カメラ片手に「曽我巡り」を敢行したのでありました。

本日はその時撮った写真を添えて、みなさんにひとときの「涼」をお届けします。

 

スポットその1、「曽我寺」

祭りの会場である曽我神社に赴く前に、筆者はまず、曽我兄弟の墓所がある曽我寺に足を向けました。
曽我1

門の入口には、古めかしいお地蔵様が鎮座しています。
曽我7

この地蔵は「身代わり地蔵尊」と呼ばれるもので、昔から病気の身代わりをしてくれるお地蔵様として親しまれてきたとか。
説明によると、とくにイボ・うるしかぶれ・皮膚病に効果があり、お祈りをしたあと、振り返らないで真っ直ぐ家に帰ると、いつの間にか治ってしまうと言われているそうです。

門をくぐると、これまたお地蔵様が…。
しかし今度のものは、なんともふくよかで可愛らしいお地蔵様です。
その名も「兄弟愛地蔵」!(笑)
曽我兄弟にちなんだお地蔵様ですね。
曽我6

兄弟愛地蔵の隣には、いよいよ曽我兄弟のお墓がお出ましです。
曾我十郎祐成がお兄さん。曾我五郎時致が弟ですよ。
曽我3

そしてこちらが、件のご兄弟。
曽我2

兄弟は仇討ちをしたとき二十歳前後だったと思いますが、お二人とも随分と大人びた御尊顔でらっしゃいます。

お墓にお参りをしたあと、寺の裏側にまわると、そこには見事なシイの木がそびえていました。
樹高は20メートル。
苔むした香りの中に、せみの声が響きます。
曽我5

スポットその2、「曽我神社」

曽我寺をあとにし、北へ300メートルほど進むと、曽我兄弟を御祭神として祀る曽我神社が見えてきました。
寺からは短い距離ですが、酷暑の中での移動でしたので、筆者は息も絶え絶え…。
足元のコンクリートが、熱でユラユラしていました。

こちらがその神社。
曽我8

時刻は午前11時半。
境内ではまだ祭りの準備をしていました。
やしろの中では、神主さんと氏子衆がお祓いの最中です。

この神社の創建は、仇討ちがあった4年後の1197年。
曽我兄弟の勇気に感銘を受けた源頼朝が、岡部権守泰綱という人物に命じて建てさせたとのことです。

屋台の準備をされていたみなさんと軽く談笑し、筆者は最後のスポットへ――。

スポットその3、「玉渡神社」

最後のスポットは、玉渡(たまわたり)神社です。
神社の名にある「玉」とは、ズバリ「人魂」のタマ。
そう、ここは少しオカルトチックな神社だったりします。
曽我9

この神社は、曽我兄弟の兄・十郎の恋人であった虎御前(とらごぜん)という名の女性にちなんだ場所。
伝説によれば、虎御前が兄弟の供養のため終焉の地へ赴く最中、この場所にあった祠で一夜を過ごしたのだそうな。
夜中にふと目が覚めた虎御前が、兄弟の在りし日の姿を思い出し涙していたところ、曽我寺の辺りから二つの人魂がフワリと飛んできて、御前の目の前で消えたのだとか。

彼女は兄弟の御霊を鎮めるため、それから七日七晩祠の前で念仏を唱え、冥福を祈りました。

地元の人たちは、健気な虎御前の姿に心を打たれ、彼女の死後、この地に神社を建立した。とされています。

不気味な伝承のある神社ですが、ここのやしろは町内の公民館として利用され、日々大勢の人たちで賑わっています。オバケが出た!などという噂は、聞いたことがないですね(笑)。
仇討ちから800年以上が経過し、兄弟と虎御前の御霊も、すっかり成仏したのでしょうか…。

…以上が、地元の曽我スポットであります。
神社・仏閣巡りに興味がある方には、お楽しみ頂けたでしょうか?

筆者の地元・富士市は富士山のふもとの町だけあって、多くの神社があります。
まだまだみなさんに紹介したい神社がたくさんありますので、またの機会に面白い「神社巡り」をお届けしたいと思います!

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