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「素描」   藤井 硫

1炎天下の桐ヶ谷斎場、午後一時半頃。
父の骸が全て燃え尽きるまでの間、二階にある喫茶室にて小さいコーラの瓶をぼーっと眺めていた。特に何か心に去来したり、センチメンタルになったのではなく、ただ単に行き場の無い視線がたまたまコーラの瓶に落ち着いただけだ。

_____父と連絡を取らなくなったおよそ五~六年の間、父が何をして暮らしていたとか、どんな友人関係があったのかとか、父に関する情報は何も知らなかった。敢えて知らない方が私には良いと思っていたからだ。関係性が希薄なのには幾層にも重なった理由がある。
私が物心付いた頃には既に両親は離婚をしていた。だが他に頼れる人物がいる訳ではなかった三人の生活は、特に離婚後も変わる事はなかった。幼かった私には離婚がもたらす変化や特別な感情など、特に感じる事もなく、それが当たり前の環境であった。
ただ、当たり前ではない事も当然あり、常に私と母は父に振り回されていた。離婚をしてからなのかは分からないが、酒に酔うと大声で喚き散らし、家電や家具などを昼間の鬱憤を晴らすかの様に壊しつくした。
他の日には、私と母の口論に苛立った父が私に電気ストーブを投げつけてきた。ストーブの照射面は私の内腿に”じゅっ”という音と共に張り付き、焦げ跡を残した。母が大声を出して慌てふためく様子とそのカナキリ声、私の泣き声にまた腹を立て、コタツの天板を怒号と共にひっくり返すと、そのまま天井の豆電球に当たり、破裂した電球の破片が部屋に飛散した。ぐちゃぐちゃに散らかった悲惨な部屋は暗闇に隠され、母の啜り泣く声と、後悔混じりの父の愚痴が私の心にトラウマを植え付けた。
今思えば、両親との隔絶はこの頃から既に始まっていた。

酒代に困った父親の金策は主に質屋頼りだったが、質草のカメラも丸井のカードで購入するという典型的な自転車操業であった。後に私の食事代もそうやって作られていたと母親に聞かされ、暫くの間父が買ってきた物には口を付けなかった。
父は母との喧嘩が酷くなるとその問題を解決する事を選択せず、現実から逃げる方法を選択した。置き手紙が置いてある時などはまだましな方で、何の前触れもなく居なくなる事の方が多かった。社宅で暮らしていた事が多かったので、その都度私達は住む場所を失い、区役所を頼るしか道はなかった。母との生活が落ち着くと、現実から逃げた父がまた別の現実から逃げてきて再び三人で暮らすという日々を何年も繰り返していた。

後から母に聞いて分かった事だが、短気な父は仕事場で事あるごとに揉め事を起こし、その度にクビになって蒸発するという事を繰り返していたが、不思議とどの職場でも出世自体は早かったという。
酒を飲んでいる時以外は寡黙な人柄で、食事を取りながら翌日の仕事を進める姿もあった。仕事に対する姿勢は真面目な所もあった。
その姿勢が家族に向けられる事はついぞ無く、中学卒業を間近に控えた私は、吐き気がする程嫌いだった父と同じ様に家族へ背を向けて、家出をした。

2

家出をしたまではいいが、着の身着のままで家を出た私に頼る宛も無かった。東京に居てはいつか見つかってしまい、カナキリ声が響く豚小屋に連れ戻されてしまう。どうせ宛もないのだからと、気の向くままに新宿駅で京都行きの片道切符を買った。
京都の駅前に着いてまず初めにした事は、電話ボックスの中に置いてあったタウンページのア行から順に、個人宅では無さそうな分かりやすい飲食店に電話を掛ける事だった。
仕事をしないといつか金が尽きてしまう。いくら世間を知らないとは言え、切迫した状況から来る危機感から、無意識に行動していた。
身分を隠して働ける様な場所があれば都合がいいのだが、そんな所は当然あるわけも無く、四時間程費やした時間と積み重ねた十円玉は、何の成果も得ずに無駄になった。

繁華街に行けば何か手立てがあるかも知れない、そう短絡的に考え、次は大阪に向かった。
もっと短絡的だったのは、ピンサロの呼び込みに声を掛けてボーイの仕事はないか歩き周った事だったが、強面に見えた彼等は思いの外丁寧に接してくれ、中には一緒に近隣の飲食店に声を掛けてくれる者もいた。
だが、当然得体も知れない、幼さの残る少年を雇おうと言ってくれる者などおらず、徒労に終わった。
「この新聞、お前にやるわ。今日はそこのカプセルホテルにでも泊まってじっくり求人欄でも見たらええ」
連れ添ってくれた中年のピンサロのボーイが差し出してくれたスポーツ新聞が、家出の期間を伸ばしてくれたきっかけになった。
求人欄に掲載されていた塗装会社の営業職の募集に目が止まった。
”社宅完備。即日入居可”
所持金も尽きてきたので寮がある事前提で探していたのだが、社宅と記載された項目を見て、勝手に寮よりも豪華なところと浅はかにイメージしたのである。少なくてもカプセルホテルの、繭の様なベッドよりは居心地が良いだろうと。

3

_____面接に合格し、結果として一ヶ月弱勤務をしたが、想像していた社宅は二畳程の木造アパートの一室で、カプセルホテルより居心地が悪かった。採用された会社の中身はヤクザのフロント企業で営業職とは名ばかりであり、下積みという名目で地回りの集金を手伝わされた。このままここに居ては、父親以上のロクデナシになってしまう。そう思い休日の前日に京都へ夜逃げをした。
京都線の車輌に疲れ切って座っていると、対面の座席に人相の悪い男性座っており、私を凝視していた。ふと嫌な予感がしたが、結果その予感は二時間後、現実のものとなる。

京都に着き、どこに泊まろうかと途方にくれていると背後からいきなり腕を掴まれた。先程同じ電車に乗り合わせていた人相の悪い男性だった。ヤクザの追手が捕まえに来たのかと思ったがその正体は私服警官だった。他にも複数人同じ様なスーツを着た男性に取り囲まれ、そのまま七条署に連行をされた。
捜索願が出ていたらしく、二日前に東京に住む友人に掛けた電話から足取りがついたらしい。
あんな両親でも捜索願を出すのか、と無邪気に嬉しくもなったが実際に届け出たのは母方の親戚だと担当官から聞き、落胆をした。
親戚が迎えに来るまで三日間、七条署の留置場が寝床となった。一日の殆どを壁を見つめて過ごしたが、その時に自分が行った事は父とまったく同じを事をしたのだと気づき、自分の血を呪った。

4

父がどう生きたかったのか、私をどう思っていたのか、癌に蝕まれて死んだ今となっては、痩せこけた体の深淵にある想いを聞く事は叶わない。
ただ、担当医から余命を宣告された後、墓はどうしたいと聞いた父の答えにその答えは隠されていたのだろうか。
「お前が建てた家が良い」
私は家など建てていないし、今後建てられるかも分からない。未だ裕福になれていない事は父も理解していた筈だ。痛み止めで朦朧としていたのか、混乱していたかも分からないが、その言葉に私は返す言葉が見つからなかった。

余命が宣告されてからは目に見えて衰弱していき、喋る事もままならなくなった。最後に聞き取れた父の言葉の意味が父の人生を連想させた。
「なんで、がんばっているのに、つらい」
闘病生活の事を指しているのか、今までの人生を指しているのか、どちらにしても辛かったには違いない。
思えば父の生き方と私の生き方は重なるところがある。なまじ器用なばかりに人よりも努力をする事も無く、何かを積み重ねる事もしないまま、結果に流されて今まで生きてきた。
その様は、まるで描き掛けの素描のようなのだ。思いついたモチーフにペンを走らせるが、有る程度の形になった段階で満足するか、難しい描写を描くことに挫折してしまい、また描きやすい手頃なモチーフを探し素描を続ける。後に残ったのは白いページが目立つ、誰にも開かれる事がないスケッチブックのみだ。それでも素描を続けたのは、それでもいつか想い描いた自分の形になるだろう、誰かに見てもらえるだろうという意地なのだ。
父は何も目に見えるものは残さなかったが、ろくでもない血と、素描を描き続ける意地だけは残してくれた。

コーラの空き瓶を見て一つだけ思い出した事がある。
幼い頃の事、駄菓子屋の自動販売機で父が買ってくれたコーラの王冠が、上手く抜けずに私が難儀していると、得意気にその瓶を口に咥えて八重歯で抜き、誇らし気に笑う父の笑顔と、その姿に呆れながらも楽しそうに父の肩を叩く、母の笑顔だ。
いつか二人の笑顔を素描ではなく、ひとつの作品として描き上げようと、小さな決心をしてコーラを飲み干した。

【ライター紹介】

藤井 硫 (男性)

東京都在住

短編小説とイラストを描いています。
頭の中の妄想を、ほいっと見せる事が出来たらどんなに楽だろう。
イラストとか小説とか見るのに時間掛かるじゃん、だからこれ見てみなよ、な?面白いでしょ?
が出来たらどんなに手っ取り早いだろうか。

でもそれが出来てしまったら創作家いらなくなってしまうよね。
じゃあダメだわ。はい、他の案考えよう。
っていう人間です。

めさき出版SNSにて活動中

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