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 七年前と服装もみた目も変わっていない小津原は、それはとても自然に麿理に近づいて行った。まるで産まれた時から側に居るように。名前も顔も知らない癖に、その自然な空気に一瞬で嫉妬心が湧き上がる。大声を出せるなら出したい。” 何もして来なかった癖に! ”
「久しぶりだね、イブ。この娘が君の子供?」
 小津原だけが呼んでくれた私のあだ名。恥ずかしいから人前で呼ばないでと何度も懇願したあだ名。

 __________「澤岸息吹……。良い名前だね。イブ」
「イブ?誰の事?」
「息吹だからイブ。今日からイブって呼ぶよ」
 軽薄そうな言葉を吐く癖に、心の熱を感じさせ無い物言い。いつも何処か冷めた眼で遠くを見ている。本当はコーンポタージュだってそこまで好きじゃ無い癖に。いつも小津原はそうだった。側に居る様でどこか遠くに存在している。手を伸ばせば触れる事が出来る場所に居るのに、まるで望遠鏡で覗いた満月みたいに遠くで光っている。
 ひたすらに強い母に憧れて、せめて真面目な人間になろうと勉強しかして来なかった私には、それこそ月の明かりの様で、クズだと薄々気付いていても、堪らなく惹かれていってしまったんだ。処女を捧げた事も、初めての同棲も、それは気付かぬうちに蜘蛛の巣に囚われる蝶の如くで、高い空を飛ぶ筈だった私の翅を千切ったんだ。

「ずっと側に居る?僕は君を束縛はしない。それだけが僕の取柄だと思う。でも僕は君が必要なんだ。ただそれだけ。他に理由が欲しい?」
 同棲を始める二日前、小津原は一人で行った酒場で喧嘩をしてきた。その足で私の部屋に来て自虐混ざりに私を口説き直した。未熟だったんだと思う。経験のない少女だったのも最悪だったんだ。
 小津原の少ない荷物が運び込まれ、あっさりと同棲は始まった。結婚をするつもりも、子供を作る気も無かった。きっと……きっと私を私として扱ってくれて、ただそっとしておいてくれる事が気持ち良かったのだと思う。過去の自分に戻れるならば、絶対一緒に暮らしてなんかなかっただろうけど。

 _____「近寄らないで。あなたと話す事なんて何もない。ほら、いくよ麿理」
「なら、何故こんな場所の公園にいるの?僕がそこの教会に通っているって誰かから聞いたんじゃないか?それにその娘、どこか怪我しているんじゃないか?救急車呼ぼうか?」
 この男には罪悪感というものが無いのだろうか?一体全体どういうつもりなんだ。馴れ馴れしく私の腕を掴んで、なんて表情で私を見るんだ。まるで……まるであの時と同じ様な、人を憐れむ目で私を!
「離してよ!構わないでったら!」
「冗談だよ。人が集まって来たらマズイ何かがあるんだろ。僕の上着を貸すから、取り敢えず人目につかない所に行こう」
 麿理の腰に小津原が着ていたジャケットを巻いて、なんとか血で染まったスカートは目立たなくなった。麿理は小津原に素直に従い、すっかり落ち着いている。
「今の時分なら教会の食堂が誰もいない筈だから、そこに行こう。僕が神父さんに話をつけてあげる」
 小津原のこうした態度は、きっと父親としてではないのだろう。単純に彼の性格なのだ。だらし無くてクズだったとしても、彼には多くの友人がいた。同棲していた時も、週三回は友人が彼を訪ねて来た。良い事も悪い事も、世の中のウンザリするような不幸な出来事にだって、いつも無関心だった癖に、友人が困っていたり、私が悲しんでいたりするとアッサリと心に割り込んで来て安心させてしまう。言葉に表せられない魅力が彼にはあったのだろう。

「裏口で待ってて。すぐ来るから」
 指示通りに裏手で待っていると通用口から彼と神父さんが出てきた。神父さんも事情を組んでいるらしく、私達二人を快く招き入れてくれた。
「ここは教会員の方が食事をするところだから、気兼ねなく休んでいてください」
  神父は麿理の血で染まったスカートの事には何も触れる事なく別の部屋に行ってしまった。
「さて、ボランティアの人が置いていった服があった筈だから持ってくるよ。ここで待っていて」
「ちょっと待って。なんでよ。なんで貴方もさっきの神父さんも麿理の事を聞かないの?貴方さっき公園で見ていたでしょ?」
 尋常ではない量の血で染まったスカートを履いていて、平然としている小学生なんて異常だと思うのが普通なんではないか。
「後で、ちょっと話がしたい。その前に着替えさせてあげないと可哀想だろ」
 
 小津原が持ってきたスカートを麿理は気に入ったらしく、鏡の前で何度もポーズを取って似合うか確かめている。
「可愛いじゃないか。とても良く似合っているよ」
 麿理は頬を赤らめて少し照れながらも、満更でもないらしくくるっと一回転して見せた。そのやり取りは父と娘が当たり前に交わす日常の風景で、不意に湧き上がってきた嫉妬心のせいで吐きそうになったぐらいだ。
「貴方頭おかしいんじゃないの。正常な神経じゃない」
 どうせ何を言ったって気にも留めないのは分かっている。よっぽど酷い事を言ってたろうかとも思ったけど、私にはそれが精一杯の罵倒だった。
「子供の前でそんな言葉を吐いちゃダメだよ。……麿理……ちゃんだっけ?ちょっとママと向こうの部屋でお話しくてるから、ここで大人しくしていられるかな?」
「わかった」
 普段私が言い聞かした後の態度とは違って、随分大人しく小津原の言う事を聞くじゃないか。麿理はこの男に捨てられたというのに、何も、何も知らないくせに。
 
「もう一度言うわ。貴方、頭オカシイの?私と一緒に居た時から?それともその前から?」
 木製の椅子に座ったまま口元を手で覆い隠し、私を見上げる目。いつも何かを憐れんでいるその両目が溜息をついた瞬間に暗くなった。悲壮感と言っていいのか当て嵌まる言葉が思い浮かばない、黒い悲しみを帯びた目付きになった。

「……順を追って話すよ。僕はあの日、君が死ねば良いと思って部屋を出たんだ」

続く

次回五月二十七日更新予定 

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