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「大地と生きた青年の物語」

  空が悲しみに暮れる時期がやってきた。この時期は食料も減るし、狩に行くと生命をさらわれる事が多くなるので、辛さが長く続く時期になる。この時期が終わるまでは太陽が三十五回、登り降りするのを待つしかない。
  空が悲しみに暮れる時期を経験したのは、両の指を全て折りたたんで、左の指を三本伸ばす程になった。長老は、もうそろそろだと険しい顔で言った。長老の言葉を聞いたアマクは、それからずっと淀んだ空と同じ色の表情をしている。化粧だってあまり色を使わなくなった。単色しか使わないのは、抗議の表明だ。アマクはきっと俺の子供を産みたがっている。俺はアマクの目を見れば気持ちが分かるんだ。だから、俺がこの旅に出るのが嫌なんだ。

 _____長老は言った。「お前は我々と同じ血を流したいか?」俺は即座に右の拳を高らかに上げてこう言った。
「俺は戦士だ。この村で一番の戦士だ。長老だってアマクだって認めている筈だ。なのに何故俺は同じ血が流れていない?空が悲しみに暮れる時期はもう充分数えた。キトゥヤは両手と指二本で青年期に入ったじゃないか。俺は両手と指三本だ。どれだけ待てばいいんだ?」
  長老の深く窪んだ眼を見ても何を考えているか分からない。長老は俺の手を持って、石牙刀で二の腕を切り裂いた。
「青年期に入れるのは我々の血を受け付いた者だけだ。この血が我々と同じだと言うのか?精霊の傷が付かない、この血が!」
  俺の部族の戦士は皆、身体中に気高い傷を付けている。獣を狩った数だけ鉤爪状の傷を作るものも居れば、敵対するアデベデ族の名前を刻み付けている者もいる。長老の背中の傷は英雷と呼ばれるぐらい立派で雄々しい。
  何度も傷を付けた。野良豚の狩りだって、俺がいつも” オサ ”を殺している。その度に石牙刀(バビルサというシカイノシシの牙で出来た短刀)で胸や腕に名誉の傷を付けて来た。しかし傷はいつも何処かに行ってしまい、俺は栄誉を刻み付ける事が出来ないのだ。
  村の男達は俺を馬鹿にした。女達は俺を悪魔と呼び恐れた。ただ、アマクだけは俺を悪魔とは呼ばず、他の男と同じ様に接してくれた。

「お前が本当に私達と同じ人間と言うならば、精霊樹の樹液を飲んで来い。お前がどこから来て、何に導かれて行くのか、その精霊樹の樹液が本当のお前を教えてくれる筈だ」
  その日からアマクは悲しみの歌を日が四回沈むまで歌ってくれた。儀式とはまったく関係のない、アマクが俺を思う気持ちだった。

 _____「マロ、お前がこの村を出て、何を見るのか何を知るのか俺達は教える事は出来ない。生きて帰ってくるのも帰れないのもお前だ。帰って来れない時、それを悔やんではいけない。それはお前が白い精霊に導かれた結果なのだ。マロ、お前はマロであり、マロではないのだ。形は一つではない。俺達から見えるそれぞれのマロがいる。作られた存在が、何故不自然であり、自然なのか、お前なりの答えを見れるといいな」
  キトゥヤが俺に放った言葉。俺を送り出した言葉。村を出てから日が六回沈んでも、チホクの樹の上から村が見えなくなった今でも、頭に残っている。
  キトゥヤは俺より先に戦士になった。戦士から勇士にもなった。俺とあいつは何も違わない筈なのに、今は違うのだと思える。キトゥヤは……強く温かい。村の事を思いながら飲む雨は、俺を眠りに優しく誘ったのだ。

  村を出てから二十一回目の朝。キツツキが樹に穴を開ける音で目が覚めた。日が高く登る頃に、ようやくキトゥヤの言葉は頭から離れていたが、俺について回るキツツキに怯えていた。
「キツツキというの貪欲な生き物だ。キツツキは森で彷徨う旅人の魂を狙っている。魂はどんな食べ物よりも力になるからだ。奴らが樹を打ち付けて穴を掘るのは、朽ち果てた身体から取れる骨を集めて埋める為だ。それがキツツキ達の縄張りになる。だからキツツキに狙われてはならない」と、長老は教えてくれた。もし狙われた時、その時は死が近い事を覚悟するべきだとも。
  キツツキが俺をどうやって殺すというのだ。怯える心を奮い立たせる為に、腹の底から魂と共に雄叫びを上げた。それでもキツツキは俺から離れず、枯れた樹に穴を掘り続けた。

  キツツキに追われ始めてから、六回目の朝。俺は苛立っていた。思う様に足取りが進んでいないだけでなく、キツツキが気になってしまい狩りも上手くいかない。幸い今は悲しみの時期なので水には困らない。だが、食料となる動物達は活動を潜めてしまい、見つけるのが困難になってしまう。それに加えてキツツキが俺が倒れるのを待っている。俺の肉体はきっと朽ち果てる事はないだろう。だが、魂を持ち去られては肉体が有っても意味をなさない。抜け殻では何も出来ないからだ。

  キツツキに追われ始めてから、十四回目の朝。何も食べれていない俺は起きた場所から動けなくなっていた。頭の上からはキツツキの視線を感じる。相変わらず雨も降り続けていて、狩りもろくにできない。
  樹にもたれ掛かりじっとしていると、アマクの事を思い出していた。

「マロの目は私達と違う。とても綺麗だ。だから村の女達は嫉妬する」
  俺が狩りから帰ってきて獲物を渡す時、アマクは俺の目を見つめてそういった。
「私も……綺麗だと思う。でも、同時に怖い。……マロの目は肌が白い者たちと一緒だから」
  マロは俺の頬に触れて涙を流した。あの時、涙を流した理由は教えてくれなかった。「そのうちマロと夜を過ごす様になれば分かる。だけど今は教えない」
  俺はまだあの涙の理由を知らされていない。俺は……帰らねばならないんだ。こんな所でとどまっている場合ではないんだ。

  辺りを見渡しても腹に溜まりそうな物が見つからない。草を手当たり次第口に放り込んだが、これでは力が出ない。他に何か食べる物がないか這い蹲りながら探して居ると、男とも女ともつかない声が聴こえた。
 ” 腹が減っているなら上を見てみろよ ”
  見上げた樹を見て居るとカサが広がったキノコを見つけた。
  何とか樹にしがみつきながら、カサが逞しいキノコを捥いで食べる。身は白くて柔らかく、乳の様な味が口に広がる。キノコを捥いだ所からは白い樹液が流れてきた。俺はその樹液にも吸い付いた。
 ” ようやく食べたな。暫くすると見えるさ。そのまま座ってなよ。立ち歩いたりしたら危ないからな ”
  男とも女ともつかない声はキツツキが居る方向から聴こえた。
「俺は座ってなんか居られない!精霊の樹に会いに行かねばならないんだ!邪魔をするな、死の鳥よ!」
  久しぶりに声を出したせいか、果たして自分の口から声が出たのか不安になった。声に構わず歩こうとしたが、今自分が歩いて居るのか、歩くべきなのか、止まっているのか分からなくなってきた。
 ” だから座ってなよったら。お前が飲みたかった樹液はとうに胃の中さ。そんなものは聖なる樹液でも何でもない。ただのキッカケだ ”
  死を運ぶ羊飼いの話は聴いた事がある。話してくれたのは長老だった。いや、長老だった筈だ。……長老はどうしているだろうか?まだあの逞しい足で立っているだろうか。

 ” ほら。そろそろ来てるだろう。まず初めは感情が軟化する。特に人恋しくなるのさ ”
 
  羊飼いに森で会った時、決して後ろを向いてはならないと言う長老は俺の事が好きだったのだ。俺はあのままでも良かったのだろうか。違う。長老にも、アマクにもキトゥヤにも俺は優しくされた。だから村を出たんだ。

 ” スローダウンスローダウン、アップダウンアップダウン。優しくて怖い時間の始まりだ。思考が走り出します。お立ちの方はお気をつけください。 ”
 
  傷が付かない事が怖いのではない。傷が何故俺にだけ付かないのかだ。目の色も違う。俺の血はどこから来たんだ。俺はあの村の誰とも結局のところ違うのではないか。産まれた時の記憶を持つものもいた。俺はどうだ。そんな事を考えもしなかった。でも、確かに記憶はあるのだ。水の中で俺は眠っていて誰かに呼ばれた。俺は眠たくて仕方が無かったが、あまりにも煩いから水から出る事にした。そこは空が見える緑の大地だった。大地、緑の大地。そうか、俺はあの村で産まれたのでは無かったのだ。雨が降っている。考えれば考える程に喉が渇く。雨が俺の喉にとめど無く降り注ぐ。こんなにも美味いものか雨が俺の口の中に、そのまま喉目掛けて降ってくる。

 ” あ〜あ。今度は脱線しちゃったか。まあそうなるだろうね。それにしたって焦れったいもんだ。分かってるかい?まだ入り口に過ぎないだぜ ”

  精霊の樹、樹液。きっとそれが俺が何なのか教えてくれるのだ。野良豚を狩らなければ。狩れば俺はまた生きられる。だから、だから、だからどうだっていうのだ。俺はどこに行こうとしていたのだ。今なにを考えて、どう思ったか順番が分からなくなって来たという事を俺はもう忘れそうになっている訳ではなく思考が追いつかないのだ。重要な事以外は記憶しておけなくなってきたこれは辛うじて認識出来ているという事はこれを基準に考えておけば俺は歩ける筈だ。

 ” そうそうそうそう。飲み込みが早くて助かるよ。今お前の思考は暴走しているんだ。普段使わない場所を総動員してグルングルンしているだからな。恐怖も襲ってくるし、視界も不鮮明になってくる。だけどそのうち指針になる思考を掴めるさ。其の後はとてもシンプルさ。分かる?シンプルって意味。 ”

  俺はマロだった。あいつから見たマロだ。石牙刀で肌を切り裂いても傷が残らず、アマクが好きで長老に認められたいマロだ。だがそれは俺が決めた事であり、あいつらが見たマロだ。それはとても不自由であり、また自由だ。呼吸をするのが当たり前で誰も疑わない様に、その不自由は誰にとっても当たり前で疑う必要がない事なのだ。白い。今俺が見ているのは白い世界だ。

 ” 頃合いってやつだな。じゃあトリガーを引いてやるかね。マロって言ったな。お前はどこにだっているさ。安心しな。 ”

  ハゲワシの男が白い渦から歩いてくるのが見えた。ハゲワシの男は神聖なものと聴いた。俺は、ここに居るべき存在だったのだ。彼等と共に生きた事が意味があり、俺が悩み苦しんだ事が他者に影響を与えた。旅に出たのも決まっていた事だし、キツツキにあった事も、太古から決まっていた事なんだ。それに見ろ、あれだけ傷が付かなかった俺の腕。今はもうこんなに傷だらけだ。

 ” キツツキの昔話、聴かせてやろうかと思ったが必要ないかな?充分お前は見てるもの。キツツキってのは食いしんぼうで魂だって食べちまう。迷い人の魂を常に狙ってる。穴を突つくのは縄張りを広げる為なんかじゃない。罠を作ってんのさ。 木の実とかいろんなものをそこに埋め込んでおくだろ?次第にキノコみてえのが生えてくる。それを旅人が食べると今のお前さんみてえになっちまうんだ。まあ、正確にはキノコじゃなくて白い樹液、アヤワスカの樹液さ。キツツキはトリップした旅人をじっと待つ。やがて負けてしまって死んだ旅人の魂をパクっと口に咥えて持ってっちまうんだ。何処にか気になるか?次の世だよ。 ”

  傷を付ける。戻らない。傷を付ける。戻らない。
  俺は確かに見たのだ。ハゲワシの男を。
  俺は確かに知ったのだ。俺が何者でどこから来たのかを。
 

 続く

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