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 乗り換えの改札口に行き交う人達の表情が夕方と比べて少し疲れていて、一日が終わりかけているのだなと感じさせる。改札鋏を上手に回す駅員はもういなくなっていて、麿理は少しつまらなそうだった。広尾に向かう地下鉄の車内は人も少なく、行きと違って二人とも座る事が出来た。向かい側の車窓には一定のリズムで窓の外を流れる地下灯の明かりと明かりの間、私と麿理の姿を映す。麿理は疲れてしまったのか、私にもたれ掛かって寝てしまっている。
「ごめんね」
 麿理を抱き締めて自然に出てきた言葉。多分、それが今の本当の言葉なんだろう。

_____教会の裏口に着いたタイミングで、待ちわびていたと言わんばかりに小津原がドアを開けた。
「君らがここに来るのが三十分ぐらい前に分かってね。あまり良く無い兆候だ」
 小津原は麿理を五人目と言っていた。他の三人と意識が繋がっていると言っていた事と何か関係があるのだろうか。
「麿理は寝てるのか。丁度良い。さ、中に入って」
 おぶさっていた麿理を小津原が抱き抱える姿は、とても様になっていたが、この姿を見るのはこれが最後になるかも知れないと変な予感がした。
「とても無垢な匂いがする。これが我が子って感じる瞬間か。とても興味深いね」
 ソファに麿理を寝かすと小津原は私の手を引っ張って外に出る様に促した。初めて二人で食事をしたあの日も、確かこんな風に何も言わずに私の手を引っ張って駅まで送ってくれた。
 外に出ると小津原は勝手口の横にしゃがみ込み、胸ポケットからシケモクみたいに曲がった煙草を取り出し火を付けた。
「私、頑張った。頑張ってきたつもりだったの。良い母親でいようと、あの子の支えになろうと今日まで。それが正解だったのか、良く分からないけど、あの子を守ろうとしてきたの」
 小津原は黙って煙草を咥えたまま煙を燻らせている。聞こうと思っていた事が、いざ口に出してみるとなかなか整理が付かず、上手く形になっていかない。伝えたい形にならないもどかしさなのか分からないけど、兎に角自分の弱さが出てきてしまって、気がついたら涙を流していた。
「僕はここに捨てられていたんだって」
 勝手口の横を指差しながら、小津原が神父に拾われて、ここで育った事をゆっくり語り始めた。まるで昔話を聴かせる様に穏やかな声で。
「その時からの記憶が全部残っているんだ。戸惑った顔で僕を抱きしめる神父さんの表情から、初めて飲んだ粉ミルクの味まで。面白いだろ?神父さんやボランティアの人達のお陰ですくすくと僕は育っていったよ。とても愛情に溢れていた毎日だった。神父さんは僕を我が子同然に育ててくれた。でも僕に取っては神父さんは神父さんでしかなかった。感謝はしているけどね。自分が普通じゃない事に気が付いたのは麿理と同じ三歳だった。バザーの準備をしていた神父さんの手伝いをしようと思って工具箱を物置から持って来ようとしたんだ。物置は暗くて足元も良く見えなかった。少し高い所に工具箱が有ったから、棚に足を掛けてよじ登ったんだけど、運悪く踏み外してね。背中から落ちたんだけど、その衝撃で棚に置いてあった工具箱が、このぐらいの金属製の重いやつなんだけど、それが頭の上に落ちてきたんだ」
「初めての衝撃に流石に驚いたけど、麿理と同じ様に痛みを感じなくてね。呆然として固まってしまったんだ。とても大きな音が鳴ったよ。その音に気が付いて神父さんが慌てて駆けつけてくれたんだけど、額から大量の血を流しているのに冷静な僕にとても驚いていた。そりゃそうだろう。その時傷は何処にも無かったんだから。神父さんは僕を抱き抱えてこう言ったんだ。” 祝福されているのか呪われているのか、私には分からない。ただ、私がそれを見たという事は意味があるんだろう。そうなんだろうな、我が子よ。 ” ってね」
 神父も私と同じ経験をしている。それがどれだけ今までの私にとって心強い話か。

「神父さんはそれからも変わらず僕を愛してくれた。だけど僕はそれからも特に変わらなかった。多分、感情というものを知ってはいるけど、それが今でも何か分からないんだ。喜びとか、愛情や悲しみ、怒りとかね。でもそれは情報が全て補ってくれた。感情が他者にどういった影響を与えるのか、幼い頃からずっと人を見てきて学習したんだ。お陰でずっと人を演じて来れた」
「私といた時も、あの時間全てって事?」
 小津原がどこか透明感があったのは、ずっと私が知る小津原を演じていたからなのか。人であって、人で無い様な変な感覚はそれだったのか。
「君といた時間だけじゃない。今までずっとさ。これは一人目の形に僕が近いからだと思う。二人目と三人目は僕の知らない感情を知っていたし」
「僕の青春と呼べる時間は全て、” 知る ”という事に費やされた。僕が大量に持っていたレコードなんかもそうさ。歌詞には人の悲哀とか情熱や情愛といった情報が沢山詰まっているからね。本当に彼等は凄いよ。どうすれば人の感情を揺さぶれるかを知っているスペシャリストだもの」
「少し話が横道に逸れたけど、情報を蓄えて人らしい人を演じる事によって、僕は自分の身体の事を忘れようとしていた。多分負担に感じたんだと思う。普通ではないって事をね」
 自分と子供を捨てた男と、夜の教会でしみじみと話す内容としては、やっぱり異質だった。でも、この話は私達にとってとても重要な意味がある様に思えたんだ。
「観察する為に自分の身体にわざと傷を付けて反応を見た事もあった。キチガイと罵られるだけならまだマシだったけど、タチの悪い奴もいてね。僕の身体を寝ている時に切り刻もうとした奴もいたし、人買いに売られそうにもなった。普段は善人面してる友人が僕の事を売るんだ。酷い話だろ?それも良い勉強になったけどね」
「それから少しずつ自分の事に興味が移っていった。一体自分は何故こんな身体なんだろうって」
 とっくに火が消えている煙草をまだ口に咥えたまま、小津原は話を続ける。
「それで、原因とか何か分かったの?」
「何も。でも何と無く理解出来そうなんだ。麿理が今日来てくれて、それが近くなった。皆、Mなんだよ」
「M?どういう事?」
「一人目はアメリカ、サウスダゴタ州に現れたMoreau。奴隷の少年。二人目はフランス北西部の港町に現れたMaro。三人目は北米のホピ族として現れたMerro」
「五人目は麿理のM。そして僕は真郎。神父さんや友人にはマロと呼ばれていた」
 下らない偶然だと思いたい。それが何を意味するのかも理解ができない。でも、小津原は喋りながら少しずつ何かを確信していっている様だった。

「僕らはそれぞれ一つで有るべき存在だった。それぞれの時代に固着しようとして、不自然な存在になったのかも知れない。それが不自然かどうかは周りが決めてきた事なんだけどもね」
 しんとした夜にも関わらず、小津原の声がもっと良く聴こえる様に隣に座った。私が確信した事を、小津原が言うかも知れないと思ったから。

続く

次回六月十七日更新予定

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