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 小津原が空になったタバコの箱を投げ捨てた。ガチャガチャと新聞配達の自転車が走る音が目の前を通過する。明るくなってきた空の色が、どこか白々しく感じて夜通し話していた事など嘘みたいだった。
「少し休んだ方がいいんじゃないか?君の身体、随分疲れているみたいだし」
 麿理が寝ている部屋で、空いているソファに横になり、目を瞑って眠りに身を任せようとするが、結局頭だけは冴えていてとてもじゃないが眠れる気がしない。

 もし、小津原が言っていた事が全て真実で、今、私達が居る世界が破滅を迎えた 時、最後の五人目だというこの娘がどう関わって行くのだろうか。私には何も為す術がなく、その事実だけを受け入れるだけしか出来ないのだろうか。
 
 平凡な人生を送り、ろくでもない男とひと時の情熱を燃やした。愛情の欠片は人格を形成して我が子となり、私は母親になった。突然訪れた孤独に負けるのが悔しくて、一人でも育てて見せようとした気持ちは、いつの間にか純粋な愛情ではなく小津原に対する意地になっていたのかも知れない。けれど、私の手を握り返す麿理の小さな手、何気ない事で無邪気に喜ぶ麿理。それらに感動した想いは私が母だから生まれてきた感情だと、素直に受け止める事が出来た。麿理の事は全て理解出来なくても、私が母で有る事は揺るぎない事実であって、私が母で有り続けてさえいればそれが私達に取っての正しい道なのではないだろうか。

 ただ、気になるのは小津原が見せてくれた、いや、三人目のマロが描いてくれたロードプラン、話してくれた地球の意識によってこれから起こる四番目の世界の終わり。小津原の口振りでは、私が母で有り続けようとすると波線に向かってしまうと言っていた。私が世界の終わりとなる原因になってしまうのだろうか?それとも麿理が原因となる何かが起こるのだろうか。この世界は今まで三回リセットされていると言う。次の世界へは前の世界の生き残りの住人達がいた。生き残る選択が出来たからなのか、何者かの大きな意志に、紡ぐことを託された民達なのか。それぞれの世界に麿理や小津原の様な監視者、マロが居たとして、彼等の役割は何なのだろうか?小津原は地球の意志によれば、五人目が最後だと言う。三人目までは何かに負けてきてしまったとも言っていた。
 それらは好奇心、感情、承認欲求。
 どれも私達が当たり前に持っている行動原理の基礎的なものだ。なんでこの三つの要素に負けてしまったのだろうか。
 
 好奇心は分からないものに対して、理由や意味を知りたいと考えた時に生まれる欲求だ。昼のワイドショーで出会う事もない芸能人の下世話な話に盛り上がるのも、生態が謎に包まれた動物の謎を解き明かそうとするのも大した違いはない。
 感情は好奇心と密接にあるもので、未知の生物や物体、事象に触れた時に感じるのは驚愕から探究心、恐怖という心情から生まれるものだし、欲求に縛られやすいものだ。
 承認欲求は誰から認められたいという感情。劣等感が強かったり、情緒不安定だったりするとその欲求が強く出てしまう……。
 ……そうか、純粋なんだ。彼等は純粋に人間として欲を積み重ねてしまったんだ。物質世界の住人に寄っていってしまい、監視者としての役割を果たせなくなったんだ。まるで子供の様に純粋に知識を高めて、経験を積み重ね、物質世界の住人達が住んでいる世界を分かろうとした。でも、彼等は間違った方向に進んでしまい、自滅してしまった。……まるで小津原の言う世界の終わりみたいではないか。栄華を極めようとする物質世界の住人達は世界のバランスを崩してしまい、三回も同じ事を繰り返してきた。今が世界のバランスが崩れかけている状況なら、麿理が次の世界の監視者として存在しているのなら……。

_____「まだ起きていたのか。ホットミルクでも飲む?」
  食堂のテーブルで、まるで私が来るのを待っていたみたいに、小津原がコップを二つ用意していた。
「さっきあなた言ってたじゃない。私が母で有り続けたらこの世界が波線の方に向かうって。あれはどういう事なの」
「君の欲が麿理に悪影響を与えている。良き母でありたい、麿理を守りたい。でもそれは純粋な愛情であれば問題がなかった。次第に君は自己承認の塊になってきた。自分でも分かってたんじゃないか?だからまた戻って来たんだろ?」
 それだけじゃなくて、きっと全て分かっているのではないだろうか。今日、私がここに来た事も、これから何をするのかも。
「やっぱり私が切っ掛けって事?今の世界の監視者はあなたじゃないの?三人目までの話を聞いたけど、まるで彼等が切っ掛けみたいな話だったじゃない」
「少し惜しい。少し正解」
「僕と君に子供が出来たのが最初の切っ掛けだった。そのまま君と暮らしていたら、僕は物質世界の住人達と同じ様に、自分の事しか考えられない存在になってしまっていただろう。君も巻き込んでね。僕はそれに抗おうとした。僕は異例の存在だったんだ、監視者としてね。他の監視者はそれぞれ孤独だった。精神の繋がりが無かったんだ。存在した時から精神世界の住人とは違う概念を持っていた。形として残ったのは傷がつかない身体だけ。僕が成長していく過程を、僕を通して見ていた精神世界の住人達は既に協議を始めていて、この世界も終わらせる方向で動いていた。この世界の住人に落胆したんだろうね。僕はこの世界の事が好きだし、もっと音楽を聴いていたいから終わらせたく無かった。だから僕が切っ掛けにならない様に気をつけていたんだ。でも、君と出会って恋愛という感情に興味が湧いてしまった。 子供が出来た時に確信したよ。精神世界の住人達は僕の役目を終えて、次の世界に移行させる気なんだって」
「それじゃあ何をしても無駄だって言っている様に聞こえるわ。……どうすればいいのよ……」
 小津原の瞳が一層暗くなった。今まで見た事が無いぐらいに。
「君が麿理の母として生きる道を諦めてもらう。そうすれば新しい選択が出来るかもしれない。その選択をしてどうなるか分からないけど、君がこの世界を終わらせたくないなら……」

 私は無意識に頷いていた。そして小津原に伝えようとした事を言わなければと、少し焦っていた。このまま黙っていたら、きっともう話せなくなってしまう様な気がしていたから。
「私、麿理に沢山酷い事をした。でも、これからは誰も悲しませる様な事はしない。私は私の為じゃなく、この世界で私を育ててくれた全てを愛し、守れるもの全ての母になる」
「その覚悟と気持ちを忘れないで。僕らが歩むべき道をそれずに支えてあげて欲しい。君はこれからもう一度やり直すんだ」
 小津原が私を抱き締めると、意識が遠くなっていき、目の前が真っ暗になった。暗闇にもがいていると、次第に光のトンネルが目に入った。その光のトンネルに入った辺りでとにかく泣き喚いていた。
” 忘れないで。全てと繋がっている事を。それはとてもシンプルに出来ているって事。君は君だけじゃないって事。君の母は一人じゃない。君の周りに居る人の母も一人じゃない。空と大地が僕らの両親だって事。大切にしてあげて欲しい。 ”
 小津原の声が次第に遠くなっていって、小津原の意識が消えた。

_____「息吹、昨日どうだったの?」
 迂闊にも由紀子にデートの話をするんじゃなかった。浮かれて話をしてしまった私も悪いんだけど。彼女に知られてしまうと社内中に広まってしまうの忘れていた。
「別に普通だったよ。中野のデパートで食事して、そのまま帰った」
「なにそれ。やっぱりつまらなそうな男だと思ったのよね。もっと面白い男をそのうち紹介してあげるから、がっかりしなさんなって」
 別に私はガッカリしたなんて言っていないのに、 女子はなんで世話好きなんだろうか。
 
_____「僕も一緒に行った方がいいかな?いや、迷惑だったら全然気にしないんだけど」
 もう少し主体性を持って接してくれれば頼りないイメージも変わるのに。
「家に行っても父しかいないからいいわよ。私がお母さんにちゃんと報告したいだけだから、来なくても大丈夫」
 母の墓参りをするのは二年振りになってしまった。気丈な性格で、いつも笑顔に溢れて私と父を優しく見守ってくれた。強くて決して泣かない理想の母だ。
 墓前までは父と二人で来たが、私がなかなか帰ろうとしないから、父が先に車に戻った。気を利かせるのが遅いのは相変わらず変わってない様だ。
「お母さん。私ね、結婚するんだ。少し頼りないけど、きっといい人よ。後ね、早いかも知れないけど、お腹に赤ちゃんいるの。私……お母さんに負けないぐらい良い母親になるね。……産まれてくる子がこの世界を大好きになって欲しいしね」

_____「本当信じられない。妻がこんなに出産で苦しんだっていうのに、気絶なんてする?」
 新宿の病院で私は少し身体が小さめの男の子の母親になった。
「だって……君あそこからあんなに血が出るなんて、まるでホラー映画みたいでさ……ごめんまだちょっと気持ち悪い」
  本当だらし無いんだから、こんなお父さんに似ないと良いんだけど……。
「名前どうする?僕、一応決めてきたんだけど、君も何かあれば」
「ま、な、お」
「え?」
「真郎って書いてまなお。真っ直ぐちゃんとした道を歩いて行って欲しいから真郎。どう?」
「う、うん!いいと思うよ!いやあ、いい名前だなぁ……」

 カーテンの隙間から見える青空がとても爽やかで、これから起こる未来が素敵なものになると言っている様だ。
 真郎の小さい手のヒラにそっと人差し指を置くと、ぎゅうっと握り返すのが面白いみたいで、頼りないパパがずっと遊んでいる。シンプルな幸せだ。物事はシンプルでいいんだ。
 
 私の母の物語が今日から始まるんだ。

 

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